出羽島ゲストハウス『シャンティシャンティ』代表 西 和彦 さん  四国の右下インタビュー

みんなで助け合う
島暮らしの素晴らしさを広げたい

石川県で生まれ、大阪市中心部で育った西さん。若い頃からマリンスポーツが好きで、県南部にもよく来ていたといいます。

1998年、「自然の中で暮らしたい」と一念発起し、出羽島から一望できる『室戸阿南海岸国定公園』の景色に魅了され、30代で移住。移住後は素潜りで採貝漁に挑戦し、漁業で生計を立てていました。

ある時、「お遍路さんに出羽島に立ち寄ってもらいたい」という思いがわき起こり、2010年、島で唯一の宿泊施設としてゲストハウス『シャンティシャンティ』をオープンします。

「店名の意味はヒンズー語で“静寂、平和”という意味です。出羽島の雰囲気を重ねてネーミングしました」。

2009年から、年2回、出羽島の海岸清掃活動『出羽島ビーチクリーン』の活動をはじめ、 「以前は島民だけで行っていましたが、人口減少により島民だけでは清掃活動が維持できなくなってきたので、島外の方にボランティアを募り、牟岐町内、海部郡内、県内と輪を広げていき、10年以上続けている現在では、京阪神からのボランティアも参加していただいています」と活動の広がりを感じているそう。

今後も出羽島で定住し、「出羽島の交流人口を少しでも増やし、海と親しみながら生活をすることの素晴らしさを広げていきたいです」と話してくださいました。

 

出羽島ゲストハウス シャンティシャンティ

https://www.tebajimaguesthouse.com/

 

牟岐少年自然の家所長 染川浩児さん  四国の右下インタビュー

「またもう一度来たい」と思ってもらえるような、
そんなところであり続けたい

出身は大阪。4年前に縁あって『牟岐少年自然の家』の所長になったという染川さん。『牟岐少年自然の家』は毎年5月~10月にかけて、徳島県下の小学5年生の宿泊体験、自然体験を行う施設です。最近では、一般の団体やファミリーも受け入れていて、海や山での活動やハロウィンなどのイベントなど、季節に応じた企画や野外調理などの体験を行っています。

「徳島市内からでも車で1時間半くらい。こんな身近に自然体験ができる場所があるというのはいい環境だと思います」。
こうした体験活動を通じて、染川さんがよかったと感じることは「当たり前ですが、『よかった』って言ってもらえることですね。アンケートもとっているんですが、そういうところに温かい言葉をいただいたりするのも嬉しいですね。それに子どもの反応って、本当に正直でね。楽しいときは飛び上がるように喜んで、そんな風に素直に反応してくれるのを見ると、こちらもすごく嬉しいですね」。

最近はコロナ影響で今までのような活動を行うのが難しい場面もあるそうですが、「今やれることをしっかりやっていきたい」という染川さん。今後の展望について伺うと「大きく変るというよりは、今の環境を維持したい。聞きようによっては発展性がないように思われるかもしれませんが、牟岐町には魅力がいっぱいあって、知らない人にはその魅力を知っていただきたいし、牟岐町に来た人には『またもう一度来たい』と思ってもらえるような、そんなところであり続けたいと思っています」と話してくださいました。

 

牟岐少年自然の家

https://www.mugi-nature.com/

 

Hi-COLOR handworks 庄司 拓也さん 四国の右下インタビュー


若い世代に「カッコいい!」と

染め物や農業に興味を持ってもらえるようになりたい

藍の無農薬栽培、蒅作り、灰汁醗酵建ての藍染め、宍喰の八坂神社から湧き出た鉱泉の沈殿泥を使った泥染め、こうした染め体験もできる民泊の運営もしています。

神奈川出身でこれまで東京で古着屋の仕事をしていたという庄司さん。生まれた頃からお子さんのアトピーがひどく、東京で子育てするのはムリだろうと、移住先を探して沖縄から各地を巡り、一旦は千葉へ移住するも、3.11を機にお子さんをフリースクール『トエック』に通わせたいと徳島県阿南市へ。中学校入学のタイミングで、サーフィンと藍染めをやりたいと、海陽町へと移住しました。

「うちの子のアトピーがひどいときに、藍染めにアトピーを抑える効果があると聞いて、そこから藍に興味をもって。藍染めは微生物によって発酵するんですが、色が染みこむというよりは、微生物がくっついている感じ。“生きている服”といつも言うんですが、スゴく奥が深くて、一生かけてもゴールがないんだろうなと思いながら勉強しているのが、楽しくて、楽しくて・・・」。

藍染めの魅力を実際に体験して知ってもらおうと、工房つきゲストハウスを建設。染めるのはハンカチなどの小物より、シャツなど、長く着ることができるものをおすすめしています。

「ハンカチはタンスに仕舞ったままになってしまうけど、自分で染めた服は大事にしてくれる。服を染めるには泊まってもらわないといけないので、宿泊してくれたお客さんには藍染めのうんちくを語っています(笑)」。

若い人に農業や藍染めに興味をもってもらい、「“この仕事をやりたい”と思ってもらえるようになりたい。自分の息子にお父さんの仕事、カッコいいと言ってもらえるようになりたい」と、伝統的な藍染染めを未来へ繋いでいこうと、日々探求する姿は、子ども達にいい影響をあたえているように感じました。

 

Hi-COLOR handworks

https://hi-colorhandworks.com/

おはなしの会 さざなみ 湯浅まちこさん 四国の右下インタビュー


物語を聞く楽しさを

たくさんの子ども達に伝えたい

牟岐町立図書館がオープンした1995年から現在までの25年間、『さざなみの会』として子ども達への読み聞かせを行っている湯浅さん。会の名前は、海辺の町にちなみ、打ち寄せる波のように途切れることなく続けていきたいという思いを込めて命名しました。

「この図書館が出来る前は、役場の中に小さな図書室があるだけだったのが、こんな大きな図書館ができて、くじらのマークのついた貸し出し袋を持って歩いている人を見ると、それだけで嬉しかったことを思い出します」。

今は月二回土曜10時半~メンバーが交代で読み聞かせを行っている他、夏休みの最後の土曜の夜は、怖いお話ばかりを集め、夜の図書館でお話し会も開いています。

春はレンゲ畑、秋はコスモス畑、モラスコ牟岐では海に関わる本を集めた読み聞かせや牟岐小学校の朝読の時間へも出かけ、様々なシーンで子ども達と共に物語の面白さや本と過ごす楽しさを味わってきた湯浅さん。

中でも思い出深いのが「まだ字も読めない小さな男の子が、お母さんに『いつも読んでもらっているからお礼に読んであげて』と言われて、私に絵本を読んでくれたことがあって。好きな絵本をそらんじて、ページをめくりながら一生懸命読んでくれて、その時、初めて聞く楽しさに気付き、とても感動しました」。

その子はもう成人しているそうですが、一冊の絵本を通じて、つながることの嬉しさを感じた体験だったといいます。「膝と膝をつき合わせ、孫に読んであげるような気持ちで、これからも読み聞かせを続けていきたい」とお話いただきました。

 

「おはなしの会さざなみ」についてはこちらの記事もご覧ください。

https://mugizine.jp/2015/10/01/post-5976/amp/

赤松座 上村幸太郎さん 四国の右下インタビュー

地域活動を通じて上の人、下の人と隔てなく

関わっていけるのは、小さい町の魅力

新春を祝う恒例行事として親しまれている日和佐太鼓。ウミガメの産卵地で有名な大浜海岸で、初日の出に合わせて行われる和太鼓の演奏を一目見ようと、県外からの見物客も訪れます。

この演奏を行う『日和佐太鼓創作会』のメンバー、上村さん。高校時代まで部活と並行してやっていたそうですが、進学を機に地元を離れ、一時中断。実家を継ぐためにUターンした際に、友人から声をかけられ、再開したといいます。

新春イベント以外に祭りや結婚式などでも演奏することがあり、「進学で大阪に出た時は、地元に帰ってこようとはあまり思わなかったけど、大阪のような都会と比べた時に、静かで落ち着いたところや人付き合いを大切にする田舎に魅力を感じるようになりました」と、地元ならではの地域活動への参加を通じて、今では帰ってきて良かったと感じているといいます。

『日和佐太鼓創作会』の他に赤松座にも所属し、「練習の成果を人前で発表できるのは快感です」と、いいパフォーマンスが出来るよう、練習に励んでいるという上村さん。

「こうした活動を通じて上の人、下の人と隔てなく関わっていけるのは小さい町の魅力だと思います」と話してくださいました。

 

日和佐太鼓創作会

https://www.facebook.com/%E6%97%A5%E5%92%8C%E4%BD%90%E5%A4%AA%E9%BC%93%E5%89%B5%E4%BD%9C%E4%BC%9A-656687934783946/

海部菓子ロマンきもとや店主 木本通利さん

「この味を地域の人に食べてもらいたい」
その思いが、お菓子作りの原動力

木本さんは牟岐町で生まれ育ちましたが、昔から大阪に憧れがあり、大阪の大きな洋菓子店で5年間修業しました。修業中は朝の6時から夜の11時まで仕事をすることも多く、週に1回の休日には、難波や梅田へ遊びに行くことが楽しみだったそうです。その洋菓子店のケーキがとても美味しくて、「ぜひこの味を牟岐の人に食べさせてあげたい」と思ったことが、地元で開業する原動力となりました。

その後、和菓子を学ぶため、京都の和菓子店でさらに5年間修業しました。あずきを炊いたり、饅頭を作ったり、和菓子と洋菓子では作業もまったく異なり、初日にプライドを粉々に打ち砕かれたそうです。

しかし、和菓子の師匠が手品のように上生菓子を作るのを見て感激し、「こんな美しいお菓子を牟岐の人が見たら喜ぶだろうな・・・」と想像しながら修業に励んだといいます。

「餡を炊くため、冬の京都の冷たい水で小豆を洗うのは、頭の先まで痺れるほどだった」と、修業の厳しさを振り返る木本さん。『きもとや』では、どら焼きの餡など、餡はすべて店で手作りしていて、自慢の品のひとつです。

この他、海部の藻塩を使用した「波乗りバウム」も人気。初めて藻塩を食べた時のまろやかさに衝撃を受け、藻塩を使い始めたのだそうで、「波乗りロール」など、海部の食材を使った地元ならではのお菓子は、お土産はもちろん、自宅用にもぜひ!通販も行っているので、海部の魅力をお取り寄せしてみて。

 

海部菓子ロマン きもとや

http://wwwc.pikara.ne.jp/kimotoya/

 

Outdoor & Tent Club(OTC) ファイナンシャルプランナー 谷崎信弥さん 四国の右下インタビュー

アウトドアを楽しみながら

防災意識にも繋がれば

ファイナンシャルプランナーの谷崎さんは、キャンプなどのアウトドアを通じて社会貢献をする活動に取り組んでいます。
学生と一緒に普段できない防災公園でキャンプを行ったり、“生物多様性あなん戦略”の一環で、阿南市に生息する天然記念物の生き物を守る活動にも参加しています。
COOPとの田んぼの生き物調査での講師、「日本の里100選」にも選出された上勝町の棚田に隣接したキャンプサイト設営計画へのアドバイス、サップイベントの手伝いなど、所属クラブの活動は多岐に渡ります。
「当初はあまり社会貢献については考えていなくて、趣味で友人たちとキャンプやバーベキューをしていました。そんな時に防災士の方と、防災とアウトドアをミックスできないかと」。
地震などの災害時に、屋外で過ごさざるを得ない状況下で、アウトドアの経験は役立ってくると谷崎さんは考えています。
「屋外で料理を作ったり、テントを建てた経験があるだけで、緊急時の気持ちが大きく変わってくると思います。アウトドアの楽しみを通じて、防災への備えに繋がっていければ」。
またキャンプに行くときだけでなく、普段の出かけるときでも、子どもたちが自分で荷造りをして持っていく“リュックサック教育”も推進。助言を与えながら小さい子どもでも必要なものを自ら選んでパッケージすることで、自分のことは自分で行うという意識が芽生えるそうです。
「こどもが自分でやることで、まず親は楽になりますし、防災にもつながっていきます。旅行に行きたくなりますよね」。
最後に阿南市の魅力をうかがうと、「海・川・山がバランスよくあり、キャンプ場でなくてもアウトドアを楽しめる自然がすぐそばにあること」だと答えていただきました。

牟岐町防災サークル 上田好美さん 四国の右下インタビュー

子供たちが楽しみながら防災について学び

防災を実践する機会も大切にしています。

牟岐町出身で小学校教諭をされていた上田さん。

退職後、教え子たちと一緒に活動する『牟岐町防災サークル』を立て上げられ、地域の防災に関する活動をされています。

「教師という立場でなく、一市民と自分がやりたい活動をするためにサークルを設立しました。現在、小学生1名、中学生6名、高校生1名のメンバーで活動しています。」

具体的な活動としては、昭和南海地震の語り部のインタビューDVD制作や、牟岐町の安全確保モデル事業のお手伝いで、危険なブロック塀の調査等に参加されたといいます。

「学生たちは、『皆さんにいろんなことを伝えたい』、『もっと防災について学びたい』という風にとても熱心に取り組んでくれます。ブロック塀調査の時も、住民への聞き取りアンケートで、褒められたり、防災の意見交換をすることを通して、活動の充実感を得られていると思います」。

サークル活動の中で、学生が楽しみながら防災を学べる、『牟岐BOUSAI CAMP』というイベントも開催しているとか。

「難しいことを考える活動だけではなく、子供たちが楽しみながら防災グッズの使い方を学んだり、自分で沸かした水でお茶を飲んだりと、体を動かして防災を実践する機会も大切にしています。

防災の意識を変えていくことは、子供よりも大人のほうが難しいです。なので、私たちは、まず素直でまっすぐな子供たちに防災意識を高めてもらい、住民全体に広げていきたいと思っています。

今後も活動を続けて行く上で、児童、学生の参加を待ち望んでいます。防災について考えるだけでなく、楽しいこともたくさんあるので、ぜひ興味ある方は参加して下さい」。

 

野田産業有限会社代表取締役専務 野田穣嗣さん 四国の右下インタビュー

モノづくりの仕事で
美波町をもっと魅力的に

野田産業有限会社代表取締役の野田さんは現在44歳。東京の大学を卒業し、地元の美波町で4年間、中学校の教員を勤めていました。

その後、家業の野田産業を継ぎ、モノづくりの仕事と向き合うことに。しかし当初は家業を継ぐ意思はなかったといいます。

「はじめは自分も全く継ぐ気は無かったんですけど、やっぱり年齢も重ねているうちに親の思いも解ってきて、一大決心というか家業を継ごうと変わりました。一から建築などの勉強を始めて苦労はあったんですが、モノづくりの仕事でお客さんに喜んでもらって、“ありがとう”の言葉をかけてもらえることが、やっぱり一番嬉しいですね」。

一度地元を離れたことで、改めて生まれ育った日和佐の魅力を再発見したという野田さん。地域のお祭りや運動会など、新たな人と繋がりができるチャンスの場には、積極的に参加するようにしています。

「東京もすごく刺激があったけど、それ以上に地元に帰ってきたいという強い気持ちがありました。仕事も結婚もして、家族や子どもと暮らすなら、やっぱり日和佐がいいなと」。

中学教諭も魅力的な仕事だったといいますが、今は徳島県産杉を主に加工して販売するモノづくりの仕事でずっと頑張っていきたいと思っています。

「地域材を使って商品として売り出しているというのは売りでもあるし、強みでもあるんですね。我々の業種では若い人材がすごく乏しいというのが一番の課題なんですけど、美波町に興味があって暮らしてみたいという人がいたら、受け入れさせていただきたいと思います」。

誇りをもって向き合う今の仕事が、地元の活性に繋がると考えているそうです。

 

株式会社セイシン 新野シームレス民泊協議会会長 西川達也さん 四国の右下インタビュー

地元の力で地域を元気に

まちづくりって面白い!

新野シームレス民泊協議会会長や、夏祭り実行委員会実行委員長、新野商工振興会、わいわい塾など新野地区を中心に、阿南全域でまちづくりや地域の活性化に関わる活動を行っている西川さん。

多彩な活動の中でも平時は民泊施設、災害時は避難所となる新野シームレス民泊に力を注いでいます。

「新野には四国霊場 第22番札所 平等寺があって、1年を通して多くのお遍路さんが訪れます。それなのに宿泊施設は1つしかなくて、夕方、暗くなってからも歩いている方を見かけると心配になっていました」と、この活動を行うきっかけを振り返ります。 

現在はコロナ禍で民泊利用者は減っているものの、それまでは年間1000人以上の利用者があり、お遍路さんの助けになっていました。

「新野の素晴らしさは平等寺さん以外に、轟神社とかいろいろな社寺仏閣があったり、僕は釣りが好きなので、大きなウナギを釣りに行ったりするような体験ガイドもしています。これからは観光にも力をいれて、新野を知ってもらい、関係人口、交流人口の増加にも取り組みたいと思っています」。

西川さんが地域の活動を始めた頃の主力は60歳代、70歳代の方達だったそうですが、西川さんに感化された若い人達も参加するようになり、まちづくりに取り組む人達の平均年齢が下がってきているのも新野の特徴。活動の積み重ねが信頼となり、次に何かしようとしたときのハードルが低くなって、様々な課題が素早く解決したり、やろうと思ったことがすぐにカタチになったりすることで、「まちづくりって面白い」と、手応えを感じている人も多いといいます。

これからもそうした仲間達と地域を盛り上げていきたいという西川さん。平等寺のシームレス民泊以外でも空き家を活用した民泊施設も増えているので、ぜひ滞在して阿南を満喫してください。

 

新野シームレス民泊推進協議会

https://peraichi.com/landing_pages/view/seamlessvacationrentals/