海陽町町長 三浦茂貴さん 四国の右下インタビュー

しっかりと次の世代にバトンを渡すためにも
前向きなチャレンジを続けたい

サーフィンやダイビングといった充実のマリンアクティビティ、町民のあたたかな声援が話題となり、全国のマラソンファンに人気の『海部川風流マラソン』、道路と線路を走るDMVの世界初の導入など、魅力満載の町・海陽町。

三浦町長は2018年4月の町長選で過疎対策を重要課題に、農林水産業の振興と地元企業の支援、高齢者向け交通手段の整備、ふるさと納税による増収などを公約に掲げ、町政の刷新を訴えて当選しました。

2004年に旧海部町議に初当選し、当時から地域課題可決のために様々な提案を行っていたそうですが、町議という立場では10個のうち1個か2個の提案が通るか、通らないか。町長になったことで、理想とする町づくりのための提案の6割くらいは実現できるようになり、将来の町の姿を自分たちの意見で形作ることができると実感し、やりがいを感じているといいます。

できない理由を考えるのではなくて、やれる方法を考えて、どんどんと前向きにいろんなものにチャレンジをしていきたい」と話す三浦町長。

インタビュアをつとめる生徒達にも20年、30年、40年経った時に「こういう町にして欲しい」という希望や、「こんな町に住みたい」といったアイデアをたくさん出して欲しいと、ひとり一人の意見に耳を傾け、町政に取り入れようという姿勢が印象的です。

「海陽町も消滅自治体になるんじゃないかという議論もある中で、そうならないよう、しっかりと次の世代にバトンを渡していかないといけないと思っています。私自身、一生この町に住み続けたいと思っていますし、自分達の住む町が好きです。商工会や青年部に入っていた頃の仲間や町民の方達からも話を聞き、理解と協力を得て、住民目線のまちづくりに尽力したいと思います」。

 

美波町町長 影治信良さん 四国の右下インタビュー

“住んで良かった”と実感できる町になるために
教育、医療、福祉、防災・・・といった課題にバランス良く取り組む

町長の仕事について「価値観や考え方の異なる住民の意見を集約しながら、一つの方向に進めていくこと」と話す影治町長。

「そのためによい決断をして、実行することが大切。よい判断をするためには、自分が人間的にも成長することを日々考え、公平さを保つよう、良識のある判断をするよう心がけていますが、これが一番難しいところです」と、学生インタビュアーに語りかけます。

美波町は旧の由岐町と日和佐町が合併して誕生しました。

かつて、それぞれの町に1つずつ病院がありましたが、老朽化が進み、南海トラフ大地震の発生を想定すると、両方とも移転し、建て直さなくてはならなかったといいます。

その際に各地区が納得するカタチを模索し、由岐インターを降りたところに美波病院を、旧日和佐高校の跡地に保健センターを開設し、それぞれのエリアの住民が医療、福祉サービスに困らないよう、腐心したといいます。

「この町に“住んで良かった”と実感できる町になるためには、子育てから始まり、教育、医療、福祉の充実や南海トラフ巨大地震の脅威を見据え、防災減災、事前復興のまちづくりなどバランス良く取り組んでいかないといけないと思っています。そして若い世代が夢を追いかけられるような、そんな教育、そんな環境を作っていきたいとも思っています」と、未来に希望を持ち、思い描いた未来を現実のものとするため、尽力しています。

若い世代に向けて、中学、高校生、大学生がそれぞれの町の良さを体感するためにも、地域の行事などに積極的に参加し、家族、親戚含めた地域の方々とのふれあいを大切にして、町の様子を知って欲しいと話す影治町長。

「皆さんが高校、大学、社会人となって町外や県外へ出て、遠くで故郷を思う時、“住んで良かった”と思えるよう、四国の右下それぞれの市町も頑張ると思いますので、将来は地元に帰ってきていただきたいなと思います」。 

 

牟岐町長 枡富治さん 四国の右下インタビュー

『モラスコむぎ』を改修し、ワーケーションに対応
若者を呼び込むきっかけに

四国の右下エリアの中で、もっとも人口の少ない牟岐町。

枡富町長が小学生の頃は人口8000人くらいだったそうですが、2021年1月現在では3948人。そのうち65歳以上の高齢者の割合は半数以上といいます。

こうした人口減少の要因は、牟岐町の主な産業である漁業、農業の低迷に加え、働き口がないため、若い人が町に残りたくても残れない状況に問題があると考えています。

“仕事がない問題”は高校を卒業した10代の若者、いわゆる新卒に限った話ではありません。

統計では20代後半から30代半ばくらいにかけてUターンする若者が多い傾向にあるそうですが、中途採用の求人も少なく、仕事がないため、戻ってもまた町外へ出て行ってしまう人がほとんどなのだとか。

こうした状況をどうにかしようと、現在、サテライトオフィス誘致や『モラスコむぎ』を改修し、ワーケーションに対応しようという取り組みが始まっています。

「牟岐町のいいところは、人。温かく、朗らかな人の魅力に加え、自然豊かで、重要伝統的建造物群にも指定された出羽島の、時間が止まったような昔懐かしい風景も魅力です。

高校に進学して一旦、県外へ出て、外から牟岐町を見るという経験も大事だと思います。外へ出て見聞を広め、また牟岐町に戻ってきた時には、その力を町のために活かしていただきたいと思います」。

牟岐町の人口ビジョンでは、40年後の2060年には870人くらいになるという推計が出ていて、人口減少対策は待ったなしです。

町会議員を5期20年つとめた後、2019年4月の町長選挙で初当選した枡富町長。

海部衛生処理事務組合の改築や緊急防災減災事業債が延長されれば、南海トラフ巨大地震対策のための牟岐町役場の移転など、喫緊の課題も多いですが、若い人達が牟岐町で安心して暮らしていけるよう、対策していきたいと話してくださいました。

 

那賀町長 坂口博文さん 四国の右下インタビュー

林業再生によるで町の活性化。
全ての世代が安心して暮らせる町に。

平成17年3月に鷲敷町・相生町・上那賀町・木沢村・木頭村が合併して誕生した那賀町。人口減少や高齢化、財政難など山積する課題の解消に向けて、坂口那賀町長は就任してから行政改革を推し進めてきました。

「人口減少を食い止めるには、まず働く場所が必要です。那賀町が有する森林という大きな資源を活かして、林業で雇用の場を作りたい」。

木材価格は下落の一方で、林業で生活していくことが難しくなっている近年。しかし町では豊富な森林資源を活用した地域振興を行うため『林業マスタープラン』を策定し、林業活性化に向けたさまざまな事業に取り組んでいます。

また森林に特化したカリキュラムで地方創生の担い手を育成する『森林クリエイト科』を那賀高校に設けました。

那賀町の魅力に、美しい自然と豊富な農産物も挙げてくれました。

「那賀町は標高約50mから高いところでは約700mと、かなり高低差がある場所です。そのため環境に合わせた適地適作で、いちご・すだち・ゆずなど、多くの種類の作物を栽培しています。こんな町はちょっと他にはないと思いますね」。

働く場を確保して、人口の減少を抑え、高齢者や子どもが安全で安心して暮らせる町を創る。県や国と連係を積極的にとって、森林や道路、堤防、ダムなどの整備にも力を注いでいるそうです。 

那賀町で生まれ、ずっと那賀町で生きてきたという坂口町長。若い人たちに那賀町にずっと残ってがんばってほしいという想いはありますが、一方でこんなエールも贈ってくれています。

「那賀町で生まれた若い人たちには、都会や全国に出て、くじけず前向きにがんばってほしい。那賀町出身者が活躍することは嬉しいし、誇りです。そして都会で得た経験を、また帰ってきて那賀町で活かしてくれれば」。

目の前に課題や壁があるほど、やりがいがある。自身も信念を曲げず「これからも変わらずチャレンジし続けていきたい」と話してくださいました。

阿南市長 表原立磨さん 四国の右下インタビュー

経験から気づかされた
大都市に無くて阿南市にあるもの

平成の大合併で那賀川町と羽ノ浦町を編入して、約279㎢という県内市町村でも屈指の広大な面積を有する阿南市。那賀川と桑野川が市内を貫流し、風光明媚な海の風景とそこで獲れる豊かな海の幸に加え、農林水産業や工業も盛んな街です。

阿南市長の表原さんは自らの職についてこう考えています。

「市長という仕事は街の代表ということですが、あくまで職業のひとつだと思っています。ただし4年に一度行われる選挙に出馬して、そこで市民の皆さんから信任を受けるというプロセスを経ないとなることのできない大変な職業。その仕事をさせていただいていることには、とても感謝と誇りを持っています」。

自身も過去に16年ほど徳島を離れ、若者が憧れる大阪や東京などで暮らした経験があるという表原市長。大都市に実際住んでみると、そこに“無いもの”が実は阿南市には“ある”ということを、帰ってきてから気づいたそうです。

満員電車に揺られ仕事や時間に追われていた都会での暮らしから離れ、阿南市に帰ってくると生まれたのは街の中で様々なことを生業としている人たちに会う時間。自らプランニングをして、自分がどういう時間を過ごし、どういう価値を社会に対して生み出していくのかということを考えながら前に進むことが、やりがいや生きがいにつながっていくと思うようになりました。

「いったん外に出ても、一周回って帰ってきて、改めて自分が生まれた街の魅力に気づいてほしい」。

魅力ある街づくりのため自分に何ができるかを考えたときに政治の壁にぶつかり、自分の叶えたい夢に到達するため政治の世界に飛び込んだという表原市長。

「例えば人生が旅だとして、自分のリュックの中に入れられるものは限られている。重さや大きさが限られている中で、新たに大きなものを持とうとしたとき、今までの何かを捨てなければならない。それが社会的な立場とか、それまで築き上げてきたすごく大きなものかもしれないけど、後悔するくらいなら今自分が一番本当に抱えたいもの、自分のリュックに宝として入れたいものを、手を伸ばしてチャレンジしていこうと決めました。一歩前に踏み出したことで、結果として僕は今ここに立たせていただいている気がします」。

暮らしのなかで“自分たちの生まれた街をどうにかしていこう”という主体性を持った一人一人のプレイヤーがどんどん増えていけば、阿南市はもっと面白くなると考えていますと話してくださいました。

NPO法人あったかいよう代表 笠原まりさん 四国の右下インタビュー 

移住者の思いをくみ取って
自分の子どもを育てるように定住へのサポートしたい

『NPO法人あったかいよう』は移住定住、人材育成、観光ガイドボランティア、福祉、教育のサポートなどまちのにぎわいづくりにつながる幅広い活動を行っています。笠原さんがこうしした活動をはじめたのは、隣近所との交流もあり、同級生もたくさんいた、自身の子ども時代の楽しさを未来へ繋いでいきたいと思ったから。

「このまま何もしなかったら、空き家も増えて子ども達も減っていく。人数が少なくてもにぎわいを保てるように工夫して、家に引きこもりがちな高齢者が増えないよう、楽しく元気に、賑やかな町にしたい」と、きめ細やかな移住者支援に力を入れています。

「どこの町でも移住者に向けて、『自然がいいよ』『人が優しいよ』と言うと思うんですが、海陽町は引っ越ししてきたいなと思った時に、私達『NPO法人あったかいよう』がお家の片付けとか、空き家のご案内、生活をはじめて困った時に、役場や地域の人とつなぐアフターフォロー、引っ越ししてきてからのサポートもさせてもらっています。

暮らしはじめると庭の草刈りが大変だったり、『子どもに何か習わせたいんだけど、どこがいい?』とか、その都度いろんな問題がでてくるんですよね。その人の思いをくみ取って、自分の子どもを育てるように移住者をサポートしようと心掛けています」。

そうした活動が功を奏し、海陽町には地域と共に活動してくれる元気な移住者が増えつつあるといいます。

「海陽町の海の美しさ、海のキレイさは世界に誇れるところ。ぜひ海陽町へ移住してきてください」。

 

NPO法人あったかいよう

http://attakaiyo.org/

歯科医 白木香織さん 四国の右下インタビュー


小さな町のいいこと、いろいろ

白木さんは東京都町田市出身。ご主人のご実家のある牟岐町で暮らしていますが、これまでは海上自衛官のご主人の転勤について横須賀、呉、舞鶴と各地で暮らしてきたといいます。 

ご主人の退職を機に牟岐への定住を決めたそうで、牟岐の印象について伺うと、「星がキレイ」とのこと。「仕事の帰り道、『今日は星がキレイだな』と思い、翌日も『今日も星がキレイだな』と思って、3日目も『あれ?今日も星がキレイ・・・』って3日目くらいでやっとこれが当たり前なんだと気付きました。満月もビックリするほど明るくて、東京にいたら街の灯りが明るすぎて、そんなことに気付くこともなかったと思います」。

東京に比べると牟岐は不便なところも多そうですが、コンパクトになんでも用事が片付くので、「意外と便利」という白木さん。

「高校の頃は茶道部で、結婚するまで続けていたんですが、子育てが忙しくなるとそれどころではなくなって。牟岐に住むようになってから十何年ぶりに再開して休みの日は茶道のお稽古に通っています。東京にいるときは電車で1時間くらいかけて通っていたんですが、すぐ近くに茶道の先生がいらっしゃるし、お稽古の帰りに牟岐町立図書館に寄って、本を借りたりしています。ここは図書館なんですが、かわいいマスクなどの雑貨も売っていたり、『むぎ図書マルシェ』などユニークなイベントが多いので、ちょっと立ち寄るだけでも楽しいです」。

クラス会などでたまに東京へ帰ると、忙しなくて「ここにはもう戻れないな」と感じるという白木さん。ゆったりとした牟岐での暮らしが性に合っていると話してくださいました。

 

かずら工芸 家形笑美子さん 四国の右下インタビュー

かずらの曲がりをいかした
味わい深い作品の数々

花籠やバッグなどをかずらで編むかずら工芸をされている家形さん。小学校や障がい者施設にも講習に行き、籠作りなどを教えていて、牟岐小学校の6年生は家形さんに教えてもらって作った花籠に、お花と卒業証書を入れて卒業していくのが恒例になっているそう。

山が好き、自然が好き、ものづくりが好きで、平成7年からかずら工芸を始め、かずらの曲線をいかした作品作りを楽しんでいます。

「私くらいの年齢になると親の世話をするか、孫の世話をするかしかないでしょ?1週間に1回でもいいから自分の時間をとって、何かに没頭する時間があれば、リフレッシュできて、また明くる日からがんばろうという気になれる。かずらを編む時間は無心になれるし、いいですよ」と楽しそうにお話されます。

「かずらを触ったこともない」「不器用でようせん」という人ほどいい作品が作れるという家形さん。できれば後を継いでやってくれる人がいれば・・・と望んでいますが、「かずらは販売されていないので、山で採ってこないといけない。山へ入れば猪や猿に会うこともあるし、足を滑らせて怪我をすることもあるかもしれない。そう思うとなかなかやってくれとはいえないですが、後継者がおったらな、とは思います」。

これまで牟岐の天然記念物の千年サンゴをモチーフにかずらを編んだりもしたそう。

牟岐町立図書館にも作品が展示されていて、講習会も時々開催しているといいます。

「やった!できた!という気持ちを一緒に味わえますので、講習会があればぜひ参加してみてください」。

 

NPO法人自然スクールトエック 岡田暁さん 四国の右下インタビュー

気付いてほしい、“外遊び”の楽しさ

さくらまつりが有名な青森県弘前市で育った岡田暁さん。

「弘前公園が通学路だったので、当時は毎春、当たり前のように桜の下を歩いていました。これが自然を好きになった原点だと思う」と岡田さんはいいます。

大学卒業後、日本環境教育フォーラムの自然学校指導者養成講座の一環で『トエック』で約半年の研修後、市村自然塾・関東のスタッフを経て、2019年4月よりスタッフに。

『トエック』では「プルド」という愛称で呼ばれていて、名前の由来はとある絵本。その絵本に登場するリンゴ頭にウサギの耳が生えたネズミのようなキャラクターの名前を、青森県出身の岡田さんとリンゴと絡めて、子ども達につけてもらったといいます。

平日は『トエック』の幼稚園と小学校のスタッフとして、土日はイベントで実施するキャンプの企画・運営を担当する岡田さん。『トエック』での仕事で気をつけていることは、人に気を配ることといいます。

「子どもたちの表情や声から、この子は元気かな?楽しめているかな?と常に考えています。また、キャンプは大学生のボランティアスタッフと一緒に運営しているのですが、大学生がすったもんだ試行錯誤する様子を、程よい距離感で見守り、時にはアドバイスするといった感じで自分自身も多くのことを学ばせてもらっています。

普段生活していると意外と気付かないかもしれませんが、釣りでも散歩でも少しカラダを動かすだけで、気持ちいいと思える場所が徳島にはたくさんあると思います。今の時代、面白いゲームが身の回りあふれているけど、それ以上に面白い自然が広がっているので、どうか視野を広げてみて下さい」。

 

NPO法人自然スクールトエック

https://toec.jp/