移住就農するなら海部きゅうり塾へ!海部エリアで始める新しい暮らし

宮崎、群馬、高知などと並ぶ全国有数のきゅうりの産地・徳島県。四国の右下エリアは冬場の日照時間が長く、安定した収穫が見込めることから、農業用ハウスを使ったきゅうりの促成栽培が盛んに行われていました。しかし、近年の少子高齢化により、きゅうり農家はピーク時の4分の1(29戸)にまで減少。そのため美波町、牟岐町、海部町の3町とJAかいふ、徳島県などの関係機関が共同で「きゅうりタウン構想」を立ち上げ、新規就農者を育成する『海部きゅうり塾』を開講。ベテラン農家の知恵や技術を結集させ、最新技術を駆使したきゅうりの養液栽培にチャレンジしています。

農業は「キツい」「儲からない」といったマイナスイメージを払拭し、“30 a(アール)で所得1000万円”を目標に掲げ、新時代の農業で地域創生に挑む「きゅうりタウン構想」について、JAかいふと徳島県南部総合県民局(美波農業支援センター)の皆さんにお話を伺いました。

◎参考サイト

海部きゅうり塾Fecebookページ https://www.facebook.com/kaifukyuuri/

 

10年後の未来のために
きゅうりの養液栽培にチャレンジ!

海部エリアを拠点とした「きゅうりタウン構想」が動き出したのは、2015年春。高齢化の影響もあり、農業が衰退する中で、就農を希望する若者や移住希望者に活路を見出し、産地の再生を図ろうと、美波町、牟岐町、海陽町の3町とJAかいふと徳島県南部総合県民局が共同で「きゅうりタウン構想」を打ち立て、「海部次世代園芸産地創生推進協議会」を設立。

新規就農者を育てる「海部きゅうり塾」、きゅうりの養液栽培を確立するための「次世代園芸実験ハウスの整備」、「SNS等を利用した情報発信」の3本柱で、10年後の未来に向けた一大プロジェクトが始まりました。

10年後の目標は、

・産地面積 5.6ha→10 ha

・収量 20t/10a→30t/10a

・所得(30a) 690万円→1000万円以上

若手就農者を確保し、産地を活性化することを目指しています。

徳島県南部では、オンシジウムや春にんじんなどの生産も盛んに行われていましたが、冬場の日照時間が長いという海部エリアならではの特色をいかし、きゅうりの促成栽培に注目。「開講当初、きゅうりの空きハウスがたくさんあったので、それらを活用して新規就農のハードルとなっている初期投資の軽減につなげようという話もありましたが、土耕栽培よりも負担が少なく、就農者にとってより魅力的な農業を目指そうと養液栽培にシフトし、次世代園芸実験ハウスを使って研修を行っています」。

促成きゅうりは育てるのが難しく、経験と勘がものをいう作物。ある程度の収量を確保するには10年かかるといわれる新規就農者にとってハードルが高い野菜なんだとか。そのうえ他の野菜に比べて作業が多く、単調であること、ハウス内の湿度や温度が高く、土耕の場合は足元も悪い。そうした過酷な労働状況を改善し、女性も就農しやすい環境を作ろうと誕生したのが、次世代園芸実験ハウスです。このハウスは、温度管理や水やりも複合環境制御技術により自動で行われ、栽培状況のデータが取得できるようになっています。

「養液栽培は全国でも事例が少なく、私達の取り組みも始まったばかり。篤農家(ベテラン農家)さんの意見も伺いながら、JAかいふの営農指導員などと共にデータ分析を重ね、新規就農者の早期自立につながるよう、協議会のメンバーが協力して新しい農業の確立を目指し、日々努力を重ねています」。

 

経営感覚をもった農業人の育成を目指す 海部きゅうり塾

農業はとにかく体力勝負!若ければなんとかなる・・・という思い込みと勢いで、移住就農を志す人も少なからずいる中で、「海部きゅうり塾」では栽培方法だけでなく、営農計画やGAP(Good Agricultural Practiceの略。農業生産工程管理のこと)などの座学も重視。実践研修と半々でしっかり研修し、1年をかけて新時代の農業に対応できる農業人を育成します。

「農業を始めるにあたり、軽トラや消耗品の購入、当面の生活費など、初期投資は1000万円くらい必要。5~10年かけて原価償却していくとしても、500万円くらいの貯金はあった方がいいですね。塾生の中には先々の経営計画もシミュレーションして、『僕はムリです』って判断し、就農しなかった人もいます。ただただ農作業だけしていればいいというのではなく、どうすれば収量が増やせるか、生産コストの削減など経営感覚のある人が向いていると思います」とJAかいふ担当者。


「海部きゅうり塾」ではこれまで22名を受け入れ、うち16名がきゅうり農家として就農。養液栽培のレンタルハウス(17a)で営農を始めた修了生の中には1210万円(うち経費750万円、所得460万円)を売り上げた人もいて、「田舎でも1000万円稼げるというのは魅力的。自分の手腕で所得を増やすこともできるというのは夢がある。地域をあげて私たちもサポートしています」と話す。

 

消費者との交流や体験ツアーも実施
きゅうり農家の魅力発信にも注力

2017年、JAバンクのCM『農業 LOVES YOU』に取り上げられたことをきっかけに、きゅうりタウンが注目を集めるようになると、消費者にも関心をもってもらおうと、道の駅日和佐に交流拠点を整備。きゅうりの収穫体験やきゅうりスイーツ開発などを通じて、農業への関心を持ってもらうような活動も始めました。


2018年から美波町のレンタルハウスで養液栽培を行っている勝又さんは、きゅうり塾の2期生。きゅうりの収穫体験の協力をされているとのことなので、ハウスを見学させてもらうことに。

17aのハウスは広々としてキレイ!地面はシートで覆われ、土足禁止。「ちょうどこの前1500株を定植したところです」という勝又さん。約1カ月後から収穫が始まり、7月まで毎日収穫するのだとか。大変ですね…と声をかけると、「毎日収穫できるということは、毎日収入があるということ。きゅうりは傷みやすいので海外から輸入できないんですよ。だから新鮮で安全で、美味しいものを消費者も選んで買っている。品質だけでなく、栽培の段階を見てもらっても養液栽培は自信をもって安心・安全と言える商品。プライドをもって作ったものがちゃんと消費者へ届いているという実感があります」という。

きゅうりの培地もココナッツピートを使っていて、使用後は土と混ぜれば堆肥として活用もできるし、排水を貯めておく池には鯉が泳いでいるし、ハウスの周囲にもシートが敷かれ、見た目や衛生面も◎。

Uターンし、アパレルや飲食などのサービス業からきゅうり農家へ転身した勝又さん。「接客は楽しかったですが、残業も多く、セール前や年末年始などは本当に忙しくて、家族で過ごす時間もなかった。今はハウスの中で好きな曲を聴きながら作業できるし、日が暮れれば家に帰れる。勤めていた頃より身体は楽です(笑)」と話す。

勝又さんのように若い就農者が増えたことで、きゅうり農家の数の変動はないけれど、構成する世代は、かなり若返ったそう。

現在、平成31年5月開講予定の『海部きゅうり塾』第6期生を募集中です。事前に見学してみたいという人のために、農業体験ツアーの参加者も募集しているので、ぜひ参加して、就農移住を検討してみてください!

海部きゅうり塾6期生募集中!

平成31年度「海部きゅうり塾」6期生募集要項

・場所 徳島県海部郡(主に海陽町)
・内容 就農を前提としたきゅうり栽培技術を1年かけて習得。
座学(農業基礎知識)&実践実習(環境制御技術・栽培方法)
・費用 無料(生活費等は別途必要)
※就農時45歳未満の方は農業次世代人材投資資金(準備型150万円/年、最長2年)を利用可能。
※住宅費一部助成あり
・対象 塾修了後、海部地域で就農意欲のある方※JAかいふレンタルハウス(15a)を利用可能
・募集 3組程度(原則夫婦)※1人の方はご相談ください。
・申し込み、問い合わせ 海部きゅうり塾(JAかいふ 奥村)
TEL 0884-73-1263(平日9時~17時)

きゅうり塾HP:http://www.jakaifu.jp/blog2.php 外部のサイトに移動します 別ウィンドウで開きます。

徳島県かいふ&海部きゅうり塾
就農・移住体験ツアー【2日間】参加者募集中

海部きゅうり塾の取り組みを知り、現地を見学できる「就農・移住体験ツアー」が開催されます。農業で生計を考えている移住希望者の方のご参加をおまちしています。

開催日 2019年3月26日(火)~27日(水)

代金:10,000円(大人お一人様・2名様1室利用)

食事:朝食1回、昼食2回、夕食0回

募集人数:8名様(最少催行人員4名様)

申込締切:出発日の20日前

申込金   :2,000円(旅行代金に充当します)

宿泊予定ホテル :HOTEL RIVIERAししくい(同等クラスホテルに変更になる場合があります)

問い合わせ・お申し込み 株式会社 農協観光徳島支店 TEL 088-633-0003

※申し込み締め切り 2019年3月6日(水)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

那賀町の歴史に名を残す 史上最強の歌のおねえさん登場!?

代官山駅より徒歩1分のところにあるライブハウス『晴れたら空に豆まいて』のオーナーであり、歌手の越路よう子さん。取材者が越路さんを初めて見たのは2015年。拝宮農村舞台の出演者として現れた女装のアーティストにギョッとするも、その歌声と那賀町をリスペクトする謙虚な姿勢に感動し、すぐにファンになりました。そんな越路さんが、なんと!2016年8月から那賀町の地域おこし協力隊となり、現在では東京と那賀町を行き来しながら世界に向けて那賀町をPRし、その熱意と愛は、日本の中枢にいるミュージシャンのほとんどを洗脳したとか、しないとか!? 農村舞台の新たな風を吹き込み、檜瑛司さんが残した徳島に伝わる民謡のアーカイブなどを通して、この町で培われ、今も残る暮らしや風習に最上の価値を見いだす越路さん。那賀町との出会いを振り返りつつ、越路さんが見た那賀町の魅力についてお話を伺いました。

拝宮農村舞台との出会い

―――那賀町にいらっしゃる以前、徳島県や那賀町についてご存じでしたか?

越路さん 久保田麻琴さんという音楽家の方に私の1枚目のアルバムをプロデュースしてもらったことがあるんですが、久保田さんが阿波踊りを題材にした『ぞめき』というアルバムを出されていて、それが非常に印象的で。それを聞いたときから阿波踊りの本場・徳島に惹きつけられました。

―――那賀町に初めて来られたのはいつでしょうか?

越路さん 2015年の6月ですね。絵描きをしている辻蘭子(元地域おこし協力隊)に、拝宮農村舞台の出演者として呼ばれたのが、最初です。

―――拝宮農村舞台はいかがでしたか?

越路さん まぁ、とにかく驚きでしたね。あんな険しい山の中に野外ステージがあって、襖からくりなどの舞台装置もある!しかも拝宮のような農村舞台が徳島県内に無数にあると聞いて、さらに驚きました。

―――現存する人形芝居用の舞台の約97%が徳島にあって、その中でも拝宮は特に人気の農村舞台ですね。

越路さん 拝宮は野外ステージとしても最高で、音環境がむちゃくちゃいいんですよ。普通、屋外になればなるほど、モニターをいっぱいつけたりするんですが、それが全くいらないという。拝宮は舞台の後ろが借景になっていて、自然の風景と目の前のお客さんとが区切りがなく、すべてが調和が取れて、一体感を感じられるんです。その感覚は単純に舞台に立つ人間として、こんな幸せな場所はないという、そんな幸福感に包まれたみたいなものがありましたね。

―――その時の感動がきっかけで、那賀町の地域おこし協力隊になられたと。

越路さん そうですね。農村舞台も含め、那賀町の素晴らしさを世界に広めたいな、と。ただ発信するだけじゃなく、仕事として繋げてこちらで暮らしていけるよう、「何をどうすればいいか?」と考えていた時に、絶妙なタイミングで「地域おこし協力隊というのがあるよ」と教えてもらって。

―――那賀町の地域おこし協力隊は、勤務は月の半分、副業もOKなフレックス制度がありますから、比較的自由に活動できるのがいいですよね。

越路さん ホント、ありがたいシステムです。こちらに拠点を置いて檜瑛司さん(徳島県鳴門市出身。舞踊家で民俗学研究家)が残した徳島に伝わる民謡、民俗芸能のアーカイブにも取り組みたいと思っていましたし、他のミュージシャンにも那賀町の素晴らしさを体感してもらいたいと思っていたので、そういった活動を支援してもらい、実現できたのは町のおかげです。

―――越路さんを通じて、2017年に山下洋輔さんやオマール・ソーサさんという世界的な有名なアーティストも拝宮農村舞台で公演いただきましたが、その方々の反応はいかがでしたか?

越路さん それがまたすごくてですね、山下さんはそのときの感動を新潮社に書いているコラムに長々と綴り、オマール・ソーサは拝宮に降り立った瞬間から「もう鳥肌が立っている!」と。彼は瞬時に拝宮の圧倒的な美しさと場の力を鋭くキャッチして、「次回はギャラ30ドルでもいいから呼んでくれ!」って言ってました。オマールのように影響力のある人が発信してくれると何百倍、何千倍のPR効果があるので、今後も心通う人たちを那賀町へ呼び寄せたいと思っています。

―――ミュージシャンの公演以外に農村舞台の活用に他の可能性を感じていらっしゃるとお聞きしました。

越路さん そうですね。農村舞台に神社が併設されているので、農村ブライダル的なものを演出していきたいと思っています。舞台に囲炉裏もありますし、あの場所を会食場として使って、お祝いに三番叟を演じてもらったり、人形浄瑠璃を絡め、那賀町の個性を生かした結婚式が作れるんじゃないかと。他にも落語や浪曲、ライブペインティングなども含め、パフォーマンスの場としても活用できるんじゃないかと考えています。

『阿波の遊行』制作秘話

―――2018年夏、先ほどお話にも登場した檜さんが残した資料のアーカイブ事業の一環として、祭礼歌や田植え歌などをまとめた『阿波の遊行(あわのゆぎょう)』という2枚組CDを発売されました。発売までには大変なご苦労があったそうですね。


製作販売:那賀町音盤
配給:アオラ・コーポレーション http://www.ahora-tyo.com

越路さん 檜さんは1968年から約20年間にわたり、徳島を中心に四国各県にも足を伸ばし、地元の民謡の録音や撮影を行っていたんです。当時の記録方法はオープンリールだったんですが、ご自身で録音機を担いで回られて。その膨大な音源をどうにか再生しようと思ったら、オープンリールを聞ける民生機は絶滅しちゃってたんですよ!

―――え!?

越路さん あちこち問い合わせて、京都に1軒だけ民生機を貸し出しているところがあることがわかって。

―――よかった!!

越路さん オープンリールを再生するために、世界中から京都に借りに来ていると、わかったはいいんですけど、テープ自体が腐ってて。ほとんどがベコベコ。そういう状態を“ワカメ”って言うらしいんですけどね。亀裂が入ったり、カビが生えていたり・・・。まずはそれを修復してくれるところを探そうということになったんですが、それにも苦労しまして。

―――直してくれるところはあったんですか?

越路さん 津波で流されちゃったテープとかを修復する、特殊な復元技術を持つ『東京光音』というところを紹介してもらい、そこに修復を依頼して。まぁ、ここまでが第一のハードルでしたね。

―――第一ってことはまだ大変なことがあったんですね。

越路さん そうなんです。次のハードルが音源の編集作業。録音されているのは楽曲だけじゃなく、その前後にインタビューが入っていたり、物音だったり、いろいろなんです。その部分をカットして曲だけを取り出していくと、2000曲ありまして。で、それを久保田麻琴さんにお渡しして、音の調整をしてもらって・・・。

―――久保田さんに依頼されたのはなぜですか?

越路さん 久保田さんは、とてつもないプロデューサーなんですよ。エリック・クラプトンと一緒に世界ツアーを周ったり、YMOの皆さんとも仲がいいですし、音に対してちょっと神がかった感性を持っていらっしゃる方で。私もお世話になった縁で、「こりゃ、久保田さんしかないな!」っていうことで、久保田さんにお渡しして選曲してもらったんです。

―――2000曲の中から54曲を選ぶのは、至難の技ですね。

越路さん そうなんです。2000曲、どれも素晴らしかったんですよ!歌っているのは、みんな村の人なんですが、歌手でもないのにとんでもない歌唱力と演奏力!! 昔の徳島にこれほどまでに豊かな文化があったとは!さすが“浄瑠璃の国!!”と、驚きましたね。

―――那賀町の曲もあったんですか?

越路さん CDにも入っているんですが、木頭のトッチンチンや、拝宮の歌もありました。音源は檜さんご自身が徳島の方でらっしゃるので、一部香川や愛媛もあるんですが、徳島がとにかく多かったですね。

 

那賀町で過ごすかけがえのない時間

―――もうすっかり那賀町に馴染んでいますよね。

越路さん 時間はかかったんですよ。急に女装の男が現れたら、疑われますから、普通。

―――あまり違和感を感じなくなっていますけど・・・。

越路さん 皆さんのおかげです。農村舞台って一言で言っても、それぞれに氏子さんがいらっしゃって、各地域のやり方で今までずっと守ってこられたわけですから。

―――本番のステージだけでなく準備や片付けなど、かなりお手伝いされたとか。

越路さん 農村舞台を守り、暮らしている人を大切にしなきゃという、いきなり何かをやっても、決して成功に結びつかないし、簡単にバンバンやってはいけないということは、大分早い段階で教えてもらいましたね。地元の皆さんのペースにあわせて、できる限り一緒に作業させてもらうと・・・。私ね、最初におじいちゃん達と打ち上げをした帰り道、涙が止まらなかったんですよ。東京から何人か連れてったスタッフも泣いちゃって。

―――何かあったんですか?

越路さん いろいろ話を聞かせてもらったこととか・・・何て言うか、那賀町の人達があまりにも優しくて。町の人の心に触れたっていう感覚が、那賀町に拠点を置こうという最強の決め手になりましたね。

―――田舎では何をするにも時間がかかるので、もどかしい面もあったのでは?

越路さん 東京のスピードが異常ですから。回転が速いので、準備も含め、人との関わりの基本である感謝の気持ちを伝えるとか、挨拶をするとか、そういったことがないがしろになりがち。それがあたかも人間として進化してるような空気があって、実は一番大事なところがどんどん、どんどん失われていってる。私はそれが怖くて、その勘を取り戻すためにも那賀町の方達と触れ合うと、原点に戻れる。地に足のついたふれあいのある、この町で交わされる笑顔とか、他愛のない話が、ホント、気持ちが良くて。誰かを貶めるとか、自分を蔑んで取る笑いじゃなくて、フツーに面白い話ができるって、強烈に楽しい。そういうことを日々教えてもらっているって思います。

―――なるほど。それでゴスペルの指導など、地域の人たちと積極的に関わっていらっしゃるんですね。

越路さん 指導と言うより、私は女子会って思っているんですけど、どうしても婦人会だけはいれてくれませんね(笑)。

 

世界へ広がる那賀町の魅力

―――今は東京と那賀町の二拠点居住されていますが、那賀町はどういう位置づけですか?

越路さん 私の人生にとって、ものすごく大事な場所になりました。代官山で『晴れたら空に豆まいて』というライブハウスをやっているんですが、私自身は横浜人なんですよ。東京が嫌いで。東京都民になりたくなくて、生まれてから今まで、横浜以外に住民票を移したことがないんです。


◎晴れたら空に豆まいて http://haremame.com/

―――横浜への愛着が強いんですね。

越路さん まぁ、言うなれば横浜のファン。だから絶対、「住所は横浜」とこだわっていたんですけど、生まれて初めて住民票を移したのが那賀町。それ以来、東京にいる時も那賀町の話しかしていません(笑) 私のまわりのミュージシャン仲間は大体、那賀町を知ってますよ!福山雅治さんのツアーでバンマスをされている井上鑑さんや俳優の三上博史さん、この前、佐野元春さんもちょっと洗脳しましたし、会う人、会う人に「那賀町、知らないの?」って刷り込んでます。

―――頼もしいです!

越路さん 東京でPRするというより、世界に広めたいと思っていて、オマールの演奏もポルトガル語や広東語のテロップをつけてフリーサイトにガンガンUPしていて、那賀町での公演もそんな風にして海外に発信していって欲しいと思います。

―――越路さんが今思う、那賀町の魅力とは何でしょうか?

越路さん 滝だったり、吊り橋だったり、見所も結構、あるんですよ。川の透明度や自然が多いっていうのも魅力ですし、ダムも人気。そうした中でも個人的にスゴいと思うのは、食品や食材。漢方に使えそうな薬草やハーブが身近にたくさんあること。それらがほぼオーガニック!それに物々交換がスゴい。貨幣経済を変えるんじゃないかっていうぐらい、生産者同士が直に取引して、お金云々という価値とは別の、暮らしの指針がある。そういう人のつながりが生む那賀町ならではの豊かさが、一番の魅力なんじゃないかと思います。

 

那賀町移住相談会のお知らせ

県と県内市町村がコラボして毎月1回、大阪で移住相談会を開催しています。
場所はふるさと暮らし情報センターです。次回開催は2019年3月9日(土)、那賀町が担当します。
徳島に行かずとも、地域の情報が詳しく聞けるまたとないチャンス!
興味のある方はぜひお越しください。

開催日:2019年3月9日(土)10:00~18:00
場所:大阪ふるさと暮らし情報センター(大阪市中央区本町橋2-31 シティプラザ大阪内1階)
お問合せ・お申込み 徳島県大阪本部:06-6251-3273

http://www.furusatokaiki.net/about/location_osaka/ 外部のサイトに移動します 別ウィンドウで開きます。

好きなまちで仕事をつくるin四国の右下レポート



2019年2月9(土)、徳島県南部総合県民局301会議室にて、『好きなまちで仕事をつくるin四国の右下~ 第4回 ミニプロジェクトの実践講座~』が行われました。この講座は地域資源を活用し、新しく事業を立ち上げたいと考えている人を対象としたローカルベンチャースクール。大学生を含む17組が参加し、新規事業や新プランを練っています。第4回目は3分間で事業プレゼンを行い、3月2日(日)に迫った『事業プランの体験型交流会』に向け、一般の人に向けた事業PRについて、アドバイザーの方達の意見も参考にしながら、最終調整を行いました。

アドバイザーとして相談に応じるのは『合同会社杉の子』の桑高仁志さん。那賀町の地域おこし協力隊を卒業後起業し、那賀町木沢でゲストハウス『杉の子』を経営。「日本最後の秘境」、「阿波のチベット」といわれる山深いゲストハウスに外国人が続々訪れ、昔懐かしい雰囲気とホスピタリティで、『Airbnb』ではスーパーホストに!

もう一名、徳島県西部から三好市地域おこし協力隊の井上琢斗さんもアドバイザーとして参加。体験および教育旅行を行う観光業『AWA-RE』の共同創業者で、地域の企業や団体の課題解決や新しい挑戦をピックアップし、若者がチャレンジできる場をコーディネートするインターンシップコーディネート業に従事をされています。

現在予定されている事業プランは「藍染めの染料キットの販売事業」や、古民家で抹茶や和菓子がいただける「和風カフェ事業」、牟岐の農業を支えるため、特産のもち麦のうどんを提供しながら地域の魅力を食を通じてPRする「まちの活性化事業」など。この講座から生まれた17の事業を食べて、飲んで、体験できる『事業プランの体験型交流会』は誰でも参加OK!四国の右下で生まれる新事業、一番最初に見てみませんか?

事業プランの体験型交流会~四国の右下DEMO DAY~
3/2(土)13:00~18:00
場所 徳島県南部総合県民局大会議室
参加費 無料
定員 50名(先着順)
申し込み方法 「好きなまちで仕事をつくるin四国の右下」の申し込みフォームにて受付

http://www.etic.or.jp/shikokunomigishita.jp/

※会終了後、軽食交流会あり。参加費は1500円。

お問い合わせ
NPO法人ETIC.(エティック)担当:渡辺・山口
〒150-0041 東京都渋谷区神南1-5-7 APPLE OHMIビル4階
TEL:03-5784-2115 / FAX:03-5784-2116
Mail:challenge-community@etic.or.jp

 

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有名起業家が続々登壇!
第4回は『株式会社瀬戸内ジャムズガーデン』の松嶋さん

この講座の魅力は、地域の可能性とアイデアで事業を立ち上げた、地域おこしやまちづくりの分野でその名を知られる有名起業家による講座も聞けること!過去の回ではローカルベンチャーの仕掛け人『エーゼロ株式会社』の牧大介さんやベンチャー企業の成長支援実績多数の『株式会社エリオス』杉浦元さんが来県し、講演後は参加者に直接アドバイスも。

第4回のゲスト講師は『株式会社瀬戸内ジャムズガーデン』代表取締役 松嶋 匡史(まつしま ただし)さん。「日本一高齢化率の高い山口県周防大島町」、「作っても売れない商品群に属するジャム」などの数々のマイナス面を、柔軟なアイデアと地域の人たちとのつながりで、次々とプラスに変えていった軌跡を辿りながら、「地域で仕事をつくること」についてお話いただきました。起業する人もそうでない人にも役立つ、その講演を編集して紹介いたします。

※松嶋さんが暮らす山口県周防大島町は昨年10月22日、周防大島と本州を結ぶ大島大橋に大型貨物船が衝突し、橋が損傷。物流や観光、ライフラインなど島での暮らしすべての面で打撃を受けました。1カ月後断水も復旧しましたが、周防大島の産業はいまだに大変な状況です。興味を持たれた方は下のサイトをご覧いただき、ぜひ応援ください。

がんばろう!!周防大島

https://peraichi.com/landing_pages/view/161p3

瀬戸内ジャムズガーデン

http://jams-garden.com/

 


 

地域で仕事をつくること

 

高齢化率日本一の島山口県周防大島

山口県の周防大島(すおうおおしま)から来ました『瀬戸内ジャムズガーデン』の松嶋と申します。私自身、2007年に周防大島に移住した移住組で、この事業を始めたのもその頃です。

周防大島は最近、ニュースで取り上げられることが多くて、例えば2歳の子供が行方不明になってスーパーボランティアが見つけたという事件や、大阪府警富田林署に拘留中だった青年が逃走し、1ヵ月近く潜伏していたのも周防大島。一番最近だと、周防大島と本州を結ぶ唯一の橋で、大島大橋というのがあるんですが、その橋にドイツの大型貨物船が衝突し、車の往来もライフラインも全部止まったニュースはご存じですか? 1ヵ月半くらい断水が続きまして、復旧しなければここにも来られないところでしたが、今はだいぶ元に戻りつつあります。

主産業は温州みかんを中心とする柑橘栽培。山口県の約8割の柑橘を栽培しています。そのため当然、柑橘農家が多いのですが、実は周防大島は「高齢化率日本一」だった島で。みかん産業が儲からないから農家さんたちは自分の息子さんたちに「もう帰ってこなくていいよ」と言って、都会の大学、都会の会社へやって家業を継がせなかった。そのため若者の層がズドーンといなくて、島出身の人が定年退職で戻ってきて、年金生活をしながら、みかんを作っているレベルの産業になってしまっていました。

そんな島で『瀬戸内ジャムズガーデン』というジャムを作る会社をやっていまして、年間15万本くらいのジャムを作って販売しています。家族構成は妻と2人の子供。妻の実家が浄土真宗本願寺派のお寺で、妻が住職なので、妻の両親と三世代でお寺に住んでいます。

もともと僕は京都生まれ、京都育ち。電力会社に11年勤めて、2年間はベンチャー企業の社長の鞄持ちをしていました。2007年に島に移住して、耕作放棄地などを借りて農業部を立ち上げてから、「島に若者が誰もいないじゃないか!」ということに気づきました。移住する前、誰も「高齢化率日本一」ということを教えてくれなかったので、移住してから「一緒に仕事をするような若い人が誰もいない・・・」ということに気づき、じゃあ、「島に人を呼び込もう」と町の定住促進協議会と民間で移住者を応援する会「島くらす」を立ち上げました。

だけど農家さんたちが子供に家業を継がせないように、移住して農業をやりたいって人を連れてきても、収入が少なく食べていけない。そこで収益率を高めるために、観光客に来てもらって、その人達に直接販売するような、利益率のいい農業や産業のカタチを作ろうと思い立ちました。そうすると観光にも関わらないといけないので、観光協会にも入れていただき今では観光協会の副会長もやっています。

とはいえ起業する人を増やすとはいっても、僕のような移住者を呼んでくるというのは、実は非常にハードルが高い。なぜなら地域の人間関係がわかっていなくて、いきなり起業すると地域内では「アイツはなんだ!」ということになりかねない。それならもっと地元の人に起業してもらえるようにしたほうがよいわけです。うちの島はどんどん高齢化しているので廃業が増えていて、地域の中で起業してくれる人材を生まないと地域の元気がなくなっていく。特に子供達の頃から起業が当たり前と思えるような社会を作りたいと思い、最近では山口県のキャリア教育推進会にも委員として参加させていただき起業家教育活動もやっています。

 

なぜ、ジャム屋になったのか?

「なぜ、ジャム屋なのか?」という話に戻りますが、実は新婚旅行でパリに行ったことがきっかけです。妻に「アクセサリーを買いたいから、隣の店にでも入って待ってて」と言われ、入ったのがジャム屋で。壁一面にジャムが並んでいたのですが、ラベルに書いてあることが、全部違うのです。それがオモシロいな~と思って、お土産に変わったものを買って帰ろうと思っていたので、いくつか買って帰りまして。ナニか分からない物を友達に配るのは良くないので、ちょっと開けてみよう・・・と思ったらどんどん興味をひかれてしまって、結局あげる予定だった分をパカパカと開けてしまって、仕方ないので、友達にはお取り寄せのチョコレートを配りましたが、そのときが2001年です。

最近でこそいろんなジャムがありますが、当時はまだブルーベリージャムとかイチゴジャムしかなくて、マーマレードも何の柑橘かは書いていない。そんな均一なものしかなかったので、パリのようにいろんな味があるのが、オモシロい!と思いました。ベンチャー企業に行っていたこともあり、「事業を興すのはめちゃめちゃオモシロい」と思っていたことと、妻が三姉妹の長女で、妻のおじいちゃんが亡くなって、お父さんだけでお寺を切り盛りするのは大変だな・・・というタイミングが重なって、会社を辞めて「周防大島でジャムを始めよう」と思ったのが、ジャム屋になった経緯です。

ちなみに移住したのは2007年。2007年というのはiPhoneが発売になった年ですが、今でこそ携帯で物を買うのが当たり前だったり、SNSで投稿するのが当たり前と思うのですが、これより前は当たり前じゃなかったですから、時代が大きく変わったのがこの頃。

僕が移住した時、島の人口は2万2000人だったのですが、10年後は1万6000人に。「これだけ人口減の激しいところでよくビジネスしているな」と言われるのですが、単純に今の時代だからできることがいろいろあります。最近は海外からの取材や視察も多くて、地方で事業を興すということがいろいろな波及効果を生んでいて、オモシロいと思います。そのひとつのきっかけとなったのが『里山資本主義』という本。「東大生が一番読んでいる本」なので、ぜひ皆さんも読んでみてください。


里山資本主義日本経済は「安心の原理」で動く
著者 藻谷浩介、NHK広島取材班KADOKAWA843円

 

地域で仕事を作るための4つのこだわり

僕が地域で仕事を作るために一番こだわっているのがこの4つです。

① 異なる目線を入れる(多様な常識をもつ)

② モノ・人・事の長所をみる

③ チームを創る(巻き込み力)

④ 小さなチャレンジを沢山!

実際やっているのは6次産業的なことで、農業、加工業、販売などのサービス業。その中でうちのジャム屋に年がら年中、果物が入ってくる仕組みを作っています。だいたい、みかんの産地だと、「うちもみかん農家になって、みかんを搾ってジュースを売ろう!」という発想になると思うのですが、そうではなくて、地元にみかん農家があるなら、違う品種を作った方がいいよね、と考えています。コンペティター(競合相手)を増やすより、一緒に仲間になっていく方が協力しやすいので、みかん農家さんと仲良くしようと取り組んでいます。

皆さん、加工用みかん(ジュース用)って、いくらくらいで取引されていると思いますか?普通の、生食用はうちの島だと1kgで250~300円くらい。それに比べ、ちょっと大きい・小さい、色づきがよくないなど中身は同じでも、見た目の問題で加工用になるみかんはキロ7円か8円。ジュースにするには加工場へ持って行かないといけませんから、そんな金額ではガソリン代にもならない。それでは息子さんに家業を継がせようとは思うはずもないので、うちでは加工用みかんでもキロ100円で必ず買い取りましょうとか、さらにジャム専用に作ってくれるなら生食用より高い金額で買い取りましょうという取り組みをして、農家さんにとっていい循環をつくっていくようにしています。

みかんを作らないなら、会社の農業部では何をやっているかというと、地域の農家さんたちが作らないけど、ジャム屋として欲しい果物を自分たちで作っています。実家がお寺で何が良かったかというと、妻が法事で門徒さんのところへ行くと、柑橘農家さんが多いので、どの時期にどの柑橘が採れるか全部ヒアリングしてこれるのですよ(笑)。それをもとにジャムの原料探しをやって、今は年間180種類くらいのジャムを作っています。一方、夏のシーズンには島に果物がなかったので、じゃあ、ブルーベリーを自家農園で栽培しようといった具合に地元の農家さんと競合しない栽培品目を選定して営農しているのが当社の農業部です。

工房を構えたからには「夏は果物がないので、みなさん休み!」ってわけにはいかないので、工房の稼働を続けるには仕事を作らないといけない。そのため、年がら年中なにかしらの果物が入ってくるような仕組みを作るために、島でイチゴが手に入らないならイチゴを作るというように試行錯誤しながらやってきました。

そうやって、地元の農家さんにもメリットのあるような仕組みを作ると、「うちのところで作ったキウイが、あの店でジャムになっている」と、お盆シーズン、親類縁者が帰ってきたときに店に連れて来て、「これだ、これだ」と言って、みんなに買わせるわけですよ。こういうご縁も仕組みも地域ならではだと思います。

実はジャムというのは作っても「そんなに売れない」という定説のある商品なのですが、そういうものでも売り方や、どういう商品を作るかによって、売ろうと思ったら売れるわけです。15万本作っているジャムの6割はあの島で売っています。もちろん広島や東京などでも売ってもらっているのですが、なぜ売れているかというと、大手メーカーさんがやっていないジャムづくりをしているからです。

例えばはっさくでは、北斜面のはっさくと南斜面のはっさくでは甘みが違う。北斜面の八朔はジャムにしても酸味が抜けない。抜けないなら酸味を活かして、レモンティーをイメージし、紅茶で煮たジャムにしようとか。寒い日が続くとはっさくに苦みが出るので、苦みを活かしてチョコレートであえてジャムにしようとか。均一な味を目指した加工品とは違って、その年、その年のヴィンテージ商品のようなカタチで作っているところが大きな違い。生産量は15万本で、180種類ありますから、単純計算で1種類800本あるかないか。それぞれが「今、買わないと同じ味はないですよ」と限定商品的なイメージで販売するのが、地域商品の販売戦略として有効などだと思います。

 

地域の連携があってこそ成功する人を呼び込む作戦の数々

観光にしても移住にしても、「まずは人を呼び込もう」ということで始まったのが「定住促進協議会」と『島くらす』の活動です。行政と民間が両輪となって周防大島へのUIターンをサポートすることで、居・職・住の情報提供や地域社会との交流など、様々なバックアップを行ってきました。ただ単に移住者を呼び込めばいいというわけではなくて、来た人を含めて地域に「なりわいをつくっていく」という目的のため、島の人も参加する浜辺清掃をやっています。

浜辺清掃は地域の人と移住者、移住しようかなと思っている人を含めて、一緒に活動する「交流の場」なのです。移住希望者が訪ねてきて、机に向かって「何がしたいんですか?」と聞いても本音は出てこない。それよりも一緒に作業する中で「あとでビールでも飲みますか」なんて話をしながら、「この人なら入ってきてもいいな」とか「あそこに空き家があるから紹介してあげようか?」と、お互いの本音を聞ける方が有意義ですよね。

こうした経験も踏まえて、島では今でも定住促進協議会が主体となって移住ツアーをやっているのですが、全国でも珍しく、毎回満員御礼の人気ツアーで、これまでに19回やって、参加者の3分の2が移住して、島で何かしらのなりわいを作っているという、非常にヒット率の高いツアーとなっています。

浜辺清掃によっていろんな人とのつながりをつくっていく中で、新しい産業の芽を見つけることができます。例えば、さきほど「ブルーベリーは自社で栽培している」という話をしましたが、ブルーベリーは熟れるタイミングが一粒ずつ違います。農薬を使わなくてもできるので、栽培はとても簡単。素人でも植える時の土質と水やり、日当たり、肥料もちょっとやれば、間違いなくできる。ただ、真夏に熟れた実を一粒ずつ収穫するのは大変な作業で、実質、朝の涼しい時間帯の2~3時間しか作業ができない。つまり、一社でブルーベリー畑を拡大したとしても、生産量(収穫できる量)は限られるということです。

それでうちがやり始めたのは、定年退職で戻ってきた人や畑を持っている人に、ブルーベリーの苗木をタダで配って、「収穫してうちに持ってきてくれたら買い取りますよ」という作戦。その契約を結ぶ『ブルーベリー研究会』というのを立上げて、実際に植え方の勉強とかもするのですが、たまに集まって飲むということの方が多いですね(笑)。できる範囲で育ててもらえたらいいんですが、人間、欲が出て、育て過ぎちゃうんですね。それで今度はそのブルーベリーを収穫するために、障害者支援施設の人にも手伝ってもらうことになり、今では彼らの収入にもなり、働く喜びを感じられる仕事となっています。なりわいがなりわいを生み、僕が移住したとき、島内産ブルーベリーは0でしたが、昨年は2トンになりました。

それから、観光についてですが、周防大島のお隣は宮島で、ガンガンに観光客が来ているのですが、うちの島は特に観光要素がなかった。そこで島の飲食店が集まって観光協会主導で「名物料理を作ろう」ということで作ったのが「みかん鍋」です。

「何これ?」って感じですが、生のみかんが入っているので柑橘の香りを楽しみながらいただける海鮮鍋で、もちろん美味しいです。最近のフルーツ鍋ブームやこのインパクトがメディアを刺激して、冬になると、このみかん鍋がよくメディアを騒がしています。それで取材に入ったクルーは「みかん鍋以外にも島に何かないか?」ということで、他の店も取り上げてもらえる。要はうちの島を知ってもらうフックツールとしてみかん鍋はとても機能しています。


周防大島ドットコム http://www.suouoshima.com/syokuji/tachiuo.html

あとは海産物。うちの島のまわりでは太刀魚はよく獲れるのですが、足がはやいので、島に来て食べてもらえるよう、観光協会で商品化しました。「ふぐ」のように丸い大皿に盛り付け、太刀魚の外皮がキラキラ輝いているので料理名は「鏡盛り」と名付けました。しかし、知名度がない。そこで山口県といえば下関のふぐは有名なので「ふぐと同等レベルのものですよ」と県知事に宣伝してもらおうと、『西(下関)のてっぽう(ふぐ)、東(周防島)の刀(太刀魚)』というキャッチコピーをつけて知名度アップを狙いました。

周防大島は日本の中でハワイへの移民を一番多く出した町でもあります。それでハワイのカウアイ島と姉妹島にもなっていて、小学校や中学校では体育祭の時にフラダンスの演目があったりとか、郵便局の職員などが夏休み期間中になるとアロハシャツを来ていたりとかしていました。しかし、地域にお金を落とす仕組み(産業)にはなっていなかった。この10年間、これも観光協会主導で「瀬戸内のハワイ」と打ち出し、地域全体のビジネスにしていこうと、フラダンスを使ったまちおこしに取り組んできました。


山口県の観光・旅行情報「おいでませ山口へ」
http://www.oidemase.or.jp/tourism-information/spots/16329

具体的に島では何をやっているかというと、夏休み期間の毎週土曜にサタデーフラ、通称「サタフラ」というイベントを開催しています。島には生の芝生に椰子の木がはえているというロケーションがあって、そういうところで「踊ってみませんか?」と全国のフラダンス教室に招待状を送っているのです。招待状といっても交通費も宿泊費も出ません(笑)。多くの一般的なフラダンス教室って、ビルの中で鏡の前で衣装を着けて踊っていると思います。しかし、「誰かに見せたいわね」とか、「芝生の上で、大空の下で踊ってみたわ」とか思うのがダンスをしている人の心情だと思います。でもハワイに行くにはお金がかかる・・・それなら、岩国空港から1時間くらいだし、招待状も来てるし、行ってみようか!という心理に訴えかけて、去年の夏のシーズンには120ものチームが来てくれています。1チームだいたい10人以上が宿をとってくれるし、それを観る観客も含めて食事やお土産、宿泊など島に経済的循環を起こしてくれる。

★サタフラ 2019年は7月20日~8月31日の毎週土曜開催予定。
デイステージ13:00~16:00、ナイトステージ18:00~21:00。
問合せ (一社)周防大島観光協会TEL: 0820-72-2134

このようにいろんな取り組みで交流人口が増えています。話を聞いていただいた方の中には「そんなみんなで面倒なことしなくても、東京の百貨店に自分の会社の商品だけ置いてもらえばいいじゃない」と思う人もいるかもしれませんが、例えば1000円のジャムだと、流通でだいたい3~4割の手数料がとられるのですね。となると600円くらいの中から利益を出さないといけない。それよりも地元に来て買ってもらえれば、そのまま利益になる。そう考えると地域の他の事業者さんたちと協力して、地域に人を呼び込む方に力を注ぐ方が地域経済にとってもメリットが大きい。

こうした取り組みで、10年前までは交流人口が80万人くらいだったのが、106万人になって、25%増えました。いろんな事業者がいろんなことをやって、全員で集客しているというのがうちの島の一番の強みです。一人一人のチャレンジ自体は小さくてもみなさんの事業を連携させることでさらに面白いことができる。それこそが未来を支える地域力につながっていくんじゃないかと思います。

暮らしやすさ抜群!! 阿南市で住んでみんで?

「田舎で子育てしたい」という移住希望のファミリーにおすすめの阿南市。子供の医療費は18歳まで無料、第二子以降は保育園・幼稚園の授業料、給食費が無料、保育施設、放課後児童クラブも充実し、待機児童もゼロ!2019年春開催の第91回選抜高校野球大会の「21世紀枠」として出場が決まった富岡西高校をはじめ、富岡東高校、阿南高専など高校もあり、文武両道の教育面も◎。大型のショッピングセンターだけでなく、昔ながらの喫茶店や気さくなおばちゃんが切り盛りする居酒屋など個人商店も多く、それほど田舎へ行かなくてもぬくもりを感じる人付き合いができるのも魅力です。移住の窓口となる阿南市定住促進課で、移住コーディネーターとして活躍する高岡亜由美さんに、街の魅力と阿南市の移住の取り組みについてお話を伺いました。

阿南市への移住情報はコチラ
阿南市移住交流支援センター
https://www.anan-iju.com/

 

特色のある地域で構成された暮らしやすい街・阿南

——高岡さんは徳島出身ですが、移住コーディネーターになる前は阿南市についてはどう思っていましたか?

高岡さん あまり意識していなかったんですが、住んでみて、住みやすい街だと思います。素直にいいな~と。人の感じや空気感は南部がいいですよね。おおらかで、明るくて。阿南は都会ではないですが、ほどよく便利でだけどゴチャゴチャしていないところもいいと思います。

——阿南市は子育て支援も充実しているし、月イチで家具などの粗大ゴミも無料で回収してくれる。住民サービスが充実していますよね。

高岡さん そうですね。そういうちょっとしたことの積み重ねが、暮らしやすさにつながっていると思います。

——移住コーディネーターという立場から見た阿南のPRポイントはどういうところでしょうか?

高岡さん 移住希望の方に要望にマルチに対応できるところは、徳島県の中においても突出しているんじゃないかと思います。地域のコミュニティにどっぷり浸かった、つながりの濃い田舎暮らしもできれば、都会風の便利な暮らしもできる。徳島県内、それぞれ魅力的な地域はありますが、阿南だけでも富岡、中野島、宝田、長生、見能林、大野、加茂谷、桑野、橘、新野、福井、伊島、椿、羽ノ浦、那賀川と地区ごとに個性が違うので、どんなご希望にも比較的応えやすいところかなと思います。

——確かに椿地区は漁師町だし、加茂谷、新野のあたりは農村、伊島もあるので最近人気の島暮らしもできますね。

高岡さん 「阿南市」と広域で見がちですが、地域、地域にそれぞれの特徴があるし、移住者のお世話をしてくださる団体さんもいらっしゃるので、そういうところと上手くマッチングできればと思っています。

——それに加えて、日亜化学工業株式会社や王子製紙、四国電力などの大企業があり、「仕事がある」というのが強いですよね。


高岡さん そういう大きな企業があることで、転勤で阿南に来られる方は多いです。転勤で来て、そのまま阿南に定住した人も結構多くて。地元の人と話をしていて、「30年以上阿南に住んでるいけど、実は県外出身」という話はよく聞きます。地方移住が話題になるずっと前から、そんな風に移り住む人が多いのは、「住んでみたら住みやすい街だった」ということなんだな、って感じますね。

——都会と同じようにはいきませんが、汽車やバスなど公共交通機関もある程度充実していますし、高速バスもあるのでそういう面でも恵まれていますよね。

高岡さん 仕事で来られる方も多いので、そういう方達は公共交通機関を使われますが、徳島は車社会なのでだいたい移動は車ですね。一家に一台といわず、一人一台がフツーなので、阿南市に住んで徳島市や近隣の町へ通勤している人も多いですし、阿南市に通勤して来られる人も多いです。

 

地域おこし協力隊の活躍

——若者を地域に呼び込む代名詞となっているのが地域おこし協力隊ですが、阿南市にも地域おこし協力隊が活躍していますよね?

高岡さん 新野、椿、加茂谷、富岡、桑野の5地域でそれぞれ活動しています。協力隊や30~40代の移住者など、若い人が入って何か活動を始めたり、お店をやったりすることで地元の人も活気づきますよね。

——富岡地区の松尾さんが撮影した作品が賞をとったと聞きました。

高岡さん そうです。富岡地区で活動中の地域おこし協力隊の松尾佳典さんが制作した阿南のPR動画『DANCE IN ANAN~燕~』が総務省四国総合通信局主催の「四国コンテンツ映像フェスタ2018」で優秀賞を受賞しました!

——松尾さんはもともと映像の仕事を?

高岡さん テレビ番組の制作会社でリサーチャーの仕事をしていたと聞いています。自分で撮影したり、編集したりはしてなかったみたいですけど、こちらに来てから自分で撮影もするようになって。

——スゴいですね。

高岡さん 他の作品も見たんですが、プロの作品はやっぱりキレイで、スゴいんですよ。感動するというか、圧倒されるような雰囲気もあるし、使っている機材も高そうだし(笑)。そうした中でも松尾くんの作品は温かみがあって、心がこもっていて。地元の高校生が出ていてあたたかい感じがするのが、いいなと。松尾くんはもともと京都出身で、阿南になんのゆかりもないんですけど、阿南の風景や高校生とコラボした映像を作ってくれて、そうやって地元のいいものに目を向けて、その結果が受賞に結びついたのは嬉しですね。

——富岡地区の方達がバックアップされたんですか?

高岡さん 富岡地区での活動を通じて、いろんな人のつながりがあり、そこから生まれてきたものと思います。

——2019年春からの地域おこし協力隊も現在募集中ですが、阿南市で協力隊になるためには何か決まりがありますか?

高岡さん 3大都市圏内の都市地域、政令指定都市からの移住であればだいたい大丈夫です。細かいことは直接相談してもらえれば、お答えします。平成31年2月17日(日)にはふるさと回帰支援センターセミナールームで『地域おこし協力隊プチ体験&移住相談会』も行います。

——地域おこし協力隊はどんなことをするんですか?

高岡さん 受け入れ地域によって観光振興などミッションがあるんですが、基本は受け入れ団体さんと相談してもらいながらある程度、自由に活動しています。月イチで合同の活動報告があるくらい。あ!他の地域と違うのは制服があるんですよ。

——制服?

高岡さん ジャージなんですけど・・・(笑)。ずっと着ていなくてもいいんですけど、イベントなどで着てもらって地域おこし協力隊をPRしてもらっています。

 

「阿南て、いいな」と思ってもらえるように

——2018年度は『ふるさと回帰フェア』や『JOIN』などの大型の合同フェアの他に、阿南市単独の移住相談会もされていましたが、今後の予定は決まっていますか?

高岡さん まだ具体的には決まっていないんですが、東京日比谷に阿南市の東京事務所があるので、そこと連携して今後も移住相談会をやれたらいいなと思っています。東京事務所があるおかげで、阿南市は東京との接点が結構あるんです。阿南光のまちづくり協議会が中心になって、毎年冬に東京ドームに併設されたアミューズメント施設『LaQua(ラクーア)』で阿南のLEDを使ったイルミネーションをしていて、その関係で毎年1月に「阿南の日」というイベントがあり、物産展や阿波踊りをやっています。私はまだ行ったことがないんですが、東京にいながら阿南を感じてもらえる情報を発信したり、移住相談などもできればいいなと思っています。

——こうしたフェアに参加する以外、いつもはどんな仕事をされているんですか?

高岡さん デスクワークが中心ですね。阿南市移住交流支援センターのホームページやFacebookの更新や細々した事務作業などをやりながら、移住希望の方が来られたら空き家を案内したり、地域の方をご紹介したりしています。

——阿南市も空き家バンクをされているんですね。

高岡さん 空き家バンクとして公開していないんですが、定住促進課の方でいくつかストックしている物件はあります。ただ阿南市の場合、不動産屋さんもたくさんありますし、物件の数や種類も多いので、定住促進課に相談に来られた方も「希望の家が見つかったよ」と、不動産屋さんを通して見つけられる方が多いです。

——移住に関することで、阿南ならではの取り組みはありますか?

高岡さん 『阿南市人材バンク』というのがあって、長期的に仕事を探す人におすすめしています。事前に登録しておくと、阿南で希望の求人が出たら知らせてもらえるようになっているので、今の仕事を続けながらこちらでも仕事探しができます。「いつか阿南にUターンしたい」という人も登録しておくといいと思います。

——年齢制限はないんですか?

高岡さん 誰でも大丈夫です。

——それはいいですね。

高岡さん 仕事があるという点は移住の強みと思いますが、移住コーディネーターの仕事って難しいなと感じています。その人の人生がかかっているので安易に「来て来て」って言うだけではダメだし、だけど時には思い切って背中を押すことも必要かな、とも思ったり・・・。

——移住の傾向として少し前までは、理想の暮らしを叶えられる場所を探す人が多い印象でしたが、最近では移住者獲得のためにどこの自治体も支援条件を充実させているので、「もっといいところがあるかも・・・」という比較になってしまい、いつまでも決められない人が多い傾向にあるように思います。

高岡さん 阿南はコーディネーターに頼らなくても、ご自身で仕事も家も見つけられるので、まずは「阿南て、いいな」と思ってもらえるようにするのが、私の仕事かな、と。入り口で印象が決まるところもあるので。

——コーディネーターはファーストコンタクトの相手ですからね。その人の印象=街の印象というところはあるでしょうね。

高岡さん 移住希望の人に対してもですが、できるだけフットワーク軽く、コーディネーターにしかできないことをやっていこうと思っているので、移住して農業がやりたいという方の整地を手伝ったりとか、空き家の荷物の片付けや掃除なども手伝うこともあります。そうやって動いていると、地域の人ともつながりができるし、私のことを覚えてもらえたりするので。

——人と人とのつながりがコーディネーターの財産になりますね。

高岡さん どっぷり地域に入りたくないという人もいれば、ご近所さんから野菜をもったり、自分自身も自給自足をするような田舎暮らしをしたい人もいる。移住希望者の望む田舎暮らしの度合いによって、棲み分けできる地域が阿南市。興味を持った人はお気軽に問い合わせてみてください。

 

牟岐町だからできる!子供達へのキャリア教育

2014年、牟岐町で行われた高校生向けサマースクールHLAB TOKUSHIMA(事業名:徳島サマースクール by H–LAB)。これに参加した学生たちが「牟岐町へ恩返しをしたい」と自主的に教育やまちづくりを支援する団体『ひとつむぎ』を結成し、2015年に特定非営利法人となり、メンバー変更を重ねながら大学生が事業の企画・運営を行っています。『ひとつむぎ』結成当初から顧問として併走してきた大西浩正さん。2017年12月に『特定非営利活動法人 牟岐キャリアサポート』を立ち上げ、さらなるサポートと牟岐町だからできる子供達へのキャリア教育を中心とした活動に力を注いでいます。

 

 お世話になった町への「恩返し」が学生達の原動力

―――大西さんが行っているキャリア教育とは、どういうものでしょう?

特定非営利活動法人 牟岐キャリアサポート 理事長 大西浩正さん

大西さん 小・中学生の社会人基礎力を育成することを目的に行うもので、子供達が自分の言葉で自分の考えを伝えることができるよう、ワークショップやプレゼン練習、イベントの企画運営などを通じて、人間的に成長するための取り組みを行っています。

―――社会人基礎力というと?

大西さん 文科省では「基礎的・汎用的能力」と規定しているものですが、自分で課題を発見し、その解決に自主的に取り組み、周囲と協力しながら課題を解決していく力です。社会人基礎力を養い、多様で主体的な進路選択ができるよう、NPO法人『ひとつむぎ』とタイアップしながら、プログラムを運営しています。

―――そういった活動をされることになった経緯をお聞かせください。

大西さん 私は平成22年~25年まで徳島県教育委員会に勤務しており、その時に、東日本大震災の被災地支援や、グローバル人材の育成、キャリア教育等に関わっておりました。その時に、高校生を対象としたサマースクールである『HLAB(エイチラボ)』を徳島に誘致する機会に恵まれ、それが牟岐町で開催されることになりました。2014年に開催された第1回『HLAB TOKUSHIMA』の運営に関わっていた一部の学生が、「お世話になった牟岐町で恩返しをしたい」と『ひとつむぎ』という団体を立ち上げました。この『ひとつむぎ』は、その後も大学生の頑張りによって続いているのですが、私は県職員だったので、環境指導課長や小松島市の政策監の仕事をしながら、勤務時間外にボランティアで彼らをサポートしてきました。しかし大学生の活動は継続性を担保しにくい。予算組みや行政手続きなどは、極めて弱い。そこで、『ひとつむぎ』も含め、町のイベント等で関わる大学生を支援し、その子達が社会人になった後も地域人材としてストックされる仕組みを作りたい考え、平成29年3月に仕事を辞めて『特定非営利活動法人 牟岐キャリアサポート』を立ち上げました。

―――牟岐町で法人を立ち上げられたのは、大西さんが牟岐のご出身だからでしょうか?

大西さん いえいえ、縁もゆかりもないです(笑)。『HLAB TOKUSHIMA』を受け入れた自治体がたまたま牟岐町だったので。その時、牟岐の人達が極めて良心的にサポートしてくれたことがきっかけです。『HLAB』に参加した学生達の「お世話になった牟岐町に何らかの形で恩返ししたい」という気持ち応えたいという思いで「ひとつむぎ」に関わりました。「牟岐キャリアサポート」を立ち上げたのは、そこからの成り行きです。

―――「恩返しがしたい」という気持ちをきっかけに学生達が団体を法人化し、活動を継続しているのはスゴいですね。

大西さん そうですね。学生達も初めはまちづくりや教育に関する事業のお手伝いや補助的なことをやっていたのですが、特に教育の部分で、すごく頑張って目に見える効果を出したんですよね。牟岐町のように高校も大学も無い町では、子供達にとって“少しお兄さん”と感じる近い将来を投影できるロールモデルのような大人との接点は少ない。そのため、大学生と一緒に行うキャリア教育がすごく大きな影響を与え、子供が育つという状況になってきて。ですから、最初はガッツリと事業を行う団体を想定してなかったのですが、活動の過程で『ひとつむぎ』のメイン事業が「キャリア教育」になりました。

 

 成長が目に見える「シラタマ活動」

―――実際に今はどういった活動をされているんですか?

大西さん 話がややこしくなりますが『牟岐キャリアサポート』として行う事業と、『ひとつむぎ』として行っている事業があります。『牟岐キャリアサポート』は、『ひとつむぎ』など学生が関わる取組みを支援しているのですが、例えば、「牟岐の残したいもの写真展」など中学生や高校生に参加してもらう事業もやっています。その他にも大学生を対象とした課題解決型のワークショップなども考えています。

―――面白そうですね。課題解決型のワークショップに参加する大学生は、一般公募されるでしょうか?

大西さん 公募ではなく、まずはモデル的に今まで地域と関わりがあった大学生で立ち上げようと思っています。

―――四国の右下エリアは徳島県内にある大学のサテライトオフィスもありますが、四国大学、徳島大学など地元の大学と関わっていくこともありますか?

大西さん 『ひとつむぎ』も含め、特定の大学と組むことは考えていないです。どこかひとつの大学や決まった研究室の大学生というのではなく、『ひとつむぎ』には全国各地の大学、学部、専攻の大学生が目的やミッションを持って集まっています。「ここでやりたい」という学生達の熱意に引き寄せられるように、クチコミで知り合いの学生が集まってきているという感じです。

―――そういった学生たちがフィールドワークや地域で活動する中で、これまで一番刺激的だったことや、手応えを感じられたことは?

大西さん 一番大きいのは、『ひとつむぎ』の基幹事業である「シラタマ活動」ですね。

―――シラタマ活動?

大西さん 牟岐町の出羽島にある“シラタマモ”っていう天然記念物にちなんで名付けられた、小学生を対象にした「シラタマ学級」という社会教育プログラムが元々ありまして。初めは「シラタマモ学級」だったのですが、言いにくいので「シラタマ学級」に。その中学生拡大版が「シラタマ活動」です。


牟岐町では少子化のため保・小・中の地域施設を一体運営する「パッケージスクール」という全国的にも先進的な取り組みを行っていますが、生徒数が少ないため人間関係は固定されますよね。そうした中で子供達の力を伸ばしていくためには、どうしたらいいかと考えているときに、たまたま『ひとつむぎ』の大学生が「何でもやります」って出てきたものだから、「じゃあ彼らに新しい風を吹き込んでもらおう!」と「シラタマ活動」が始まりました。

―――具体的にはどんなことをしているんですか?

大西さん 中3生が中心となって夏の終わりに『むぎいろフェスティバル』というイベントを行っています。『むぎいろフェスティバル』では、中学3年生が、小学6年生から中学校2年生、さらに地域の人も巻き込んで、町の課題解決に取り組み、イベント等の形態で表現していきます。大学生はワークショップやプレゼンなどを通じて中学生の可能性を引き出していきますが、主役はあくまでも中3生です。また、イベント自体の成功よりも地域の方や下級生と一体になって準備する過程での成長を重視しています。初めは引っ込み思案で何も言えなかった子が変わったり、進路を主体的に考えるようになったり、「このイベントは自分達が支えている」という自覚が、目に見える成長につながっていきます。

ここでの体験が起点になって「高校生に進学した後も集まる場が欲しい」という要望があり、「ローカルハイスクール」という取組みにつながりました。高校生になると、徳島市内や、場合によっては県外から友達を連れてきて、サポートする大学生や社会人も全国各地から集まるという連鎖反応を起こしました。

―――活動の積み重ねが、少しずつ人の輪を広げているんですね。

大西さん そうですね。大学の単位が欲しくて地域活動に参加するという学生もいると思いますが、そういう人達は一過性で、単位取得など目的を達成すると関係が切れてしまう。牟岐キャリアサポートの副理事長は『ひとつむぎ』の出身で、現在、東京の大手IT企業で仕事しならが、ボランティアで関わり続けてくれています。

 

年間延べ500人以上の大学生が牟岐町へ!

―――大西さんも含め、縁もゆかりもない方達が牟岐町に自分たちの活動を見出し、繋がりを広げているのは面白いですね。

大西さん 面白いです。各地で様々な教育支援が行われていますが、小学校・中学校の義務教育の分野に「よそ者」が入って活動しているところは珍しい。牟岐町の場合、生徒数の減少に伴い、小中一体で教育に取り組む中で、教員が担う部分、地域の力を借りる部分、よそ者である大学生が関わる部分など、「タテの関係」だけでなく、「ナナメの関係」も取り入れている。そのことができる町って少ないと思います。大学生は受け入れてくれるフィールドがあるので、心おきなく現場に向き合い自分達で作り込んでいく。その成果を町が評価して応える状況ができたので、前に進んできたのかなと。


行政はどうしても「上からの動き」を考えるので、「偉い先生に入ってもらいましょう」とか「大学と連携協定を結んで学生にきてもらいましょう」というカタチになりがちです。しかし『ひとつむぎ』の場合は、大学生の「恩返しさせてください。何でもします」というゼロベースがスタート。「下からの動き」を行政が拾い上げた。その違いは大きいと思います。

―――牟岐は漁師町ですから、都市とは生活習慣も違うし、特に他県から来た学生さんは方言も分からず、苦労することもあったんじゃないですか?

大西さん まぁ、苦労はしているでしょうけどね。でもおそらく、「シラタマ活動」に代表されるように、子供達や若い世代が中心になって動ける部分があるので、苦労と感じていないのかな。


大学生が地域に入って、「この地域をどうするか」というような大きな課題に取り組んで町に提言する事業ってよくあるじゃないですか。商品開発や観光客誘致、それらの情報を発信とかね。でも役所は、意外とその成果を使ってないですよね。大学生の遊びに付き合ったくらいの感じで、正面から大学生の頑張りを捉えてくれないケースが多い。牟岐町の場合は、大学生が頑張りを真正面から受け止めてくれているので、大学生は頑張れば居場所がある。そのことが全国的にある程度、評価されるようにもなってきて、内閣府の「子ども若者白書」にも先進事例として掲載いただきました。大学生を地域に入れようという自治体は多いですが、「○○つがなりの○○大学にしよう」とか、「協定を結ぼう」というカタチを整えることから始めることが多い。しかし、行政や地域の方が大学生と並走する「良い現場」がないと、大学生のモチベーションはあがってきません。

過疎地で、交通の便が悪い地域に、「ひとつむぎ」だけで年間延べ500人以上の大学生が足を運び活動しています。HLABのサマースクールなどもありますので、これらを加えると非常に大きな数字です。

―――学生達が地域課題を自分事として捉えて、自走し始めている感じがよく分かりますね。

大西さん ここまで持ってくるのは相当大変でしたが、一番最初に関わった学生達が優秀で、特に頑張ったと思います。また面白いことに、その子達が就活の際に一流といわれる企業を受けると、どんどん採用が決まるんですよ。こうした経験を企業のインターンシップや留学よりも高く評価されるということが嬉しいですね。

―――既成のプログラムが用意されているわけではないですもんね。

大西さん 一応、大枠はあるのですが、事業を運営する大学生も参加する中学生も毎年違いますし、地域との関係も日々刻々と変わります。変化の中で最適化を探す作業を繰り返さなければなりません。この仕事の醍醐味はまさにその部分です。

―――毎年、予測不能というわけですね。

大西さん だからいつも苦しいですよ。運営する大学生の中にエースのような子がいると楽なんですけどね。プログラムの企画、運営やインナーワークを任せられる子がいる時は。まぁ、仮にそういう学生がいたとして、「賞味期限」って言い方は乱暴かもしれませんが、「賞味期限」は2~3年。留学やインターンシップ、就活などの時間を差し引いた実質賞味期限2年の制約の中で、どのように成果を出していくか。また、大学生が大切な時間を提供してくれていることに対して、「学び」というカタチでお返ししなければなりません。

1~2年では成果は見えなくても、5~10年経った時に、関係人口が外側に広がり、牟岐町や徳島県に人材がストックされ、社会を変えるというように、視座高く持つように心がけています。

―――なるほど。人と人との関係をひとつずつ、結んでいくような地道な活動というわけですね。

大西さん なかなか活動内容が伝わりにくいですが、続けていかないことには先がないですからね。田舎の子って、人間関係が固定されていますから、会話に主語がないですよね。主語述語がはっきりしなくても「あれ」「それ」で通じてしまう。でもその子達は15歳の春には町外に出て行くのが宿命。18歳になったら就職あるいは進学する。場合によっては県外へ出て行かなければならない。そのためには小学校の高学年、中学校段階から物事を頭の中で整理し、論理的に話ができることや、他者と協働できる習慣をつけていかないと。それが身についていないと、生きづらくなるんですよね。


子供達にとって、田舎に生まれたことがマイナスにならないよう、逆にプラスにするにはどうすればいいのか・・・。「ローカルハイスクール」という取組みは、大学はおろか高校もない地域に住んでいても、全国各地から大学生や社会人が集まってくるので、大学のことや社会の動きを学べます。高校生が大学生や社会人ときちんと繋がって、「自由に動ける力」をつけることができる。「自由に動ける力」をつけるということは、糸が切れた凧のように外の世界に流されていくのではなく、主体的に判断し行動する力をつけることです。

―――自分の力で動ける人材は今、本当に必要とされていますね。

大西さん そうですね。国では「学習指導要領」等を見直していますし、その動向も気にしながら・・・ですね。子供達が自分で決める力をつけるため、どういったキャリア教育が必要か、これからも実践しながら、探求していこうと考えています。

―――ありがとうございました。

 

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NPO法人ひとつむぎ https://hitotsumugi.org/