四国の右下

徳島県南部地域政策総合会議委員、募集!

 

徳島県南部総合県民局で「南部地域政策総合会議」のための委員を公募しています。
四国の右下エリアに移住して来られた方、地域おこしに取り組んでいる方、若くてやる気のある方は応募してみてはいかがでしょう?あなたのリアルな声が地域を変えるきっかけになるかもしれません。

------以下徳島県のホームページより転載
http://www.pref.tokushima.jp/docs/2017030200254/

徳島県南部総合県民局では、地域住民との意見交換を通じて連携を強化し、地域の目線に立った政策の立案や地域のニーズを反映した事業を推進するため、地域住民代表との意見交換の場として、「南部地域政策総合会議」を開催しています。
この度、南部圏域にお住まいの皆様のご意見を県の施策に反映させるため、公募委員を募集します。
●公募委員数 3名程度

●任 期 平成29年5月17日から平成31年5月16日とします。

●応募資格 県南部圏域(阿南市、那賀郡及び海部郡)内に居住する満18歳(平成29年4月1日現在)以上の方で、年数回程度開催される会議に出席できる方。ただし、次に掲げる方を除く。

(1)国会議員及び地方公共団体の議会の議員
(2)常勤の国家公務員及び地方公務員

●応募方法
(1)次の事項を明記した応募用紙(様式自由)
住所、氏名、生年月日、年齢、性別、連絡先(電話番号)、電子メールアドレス、職業、応募の動機、主な経歴等(他の委員等の活動経験、その他の活動経験)を明記した用紙。

(2)「新たな魅力を創出し、県南振興のために私たちができること」をテーマとした作文(800字程度)

以上2点を、郵便、持参、電子メール、FAXなどの方法でお送りください。
なお、御提出していただいたものはお返しできませんので、予め御了承ください。

●募集期限 平成29年4月21日(金)まで(当日消印有効)

●選考方法 別途定める南部地域政策総合会議公募委員選考要領に基づき、書類選考します。

●選考結果の通知 選考委員会で決定後、速やかに応募者にお知らせします。

●応募及び問い合わせ先

〒779-2305 海部郡美波町奥河内字弁才天17-1
徳島県南部総合県民局 経営企画部(美波) 地域振興担当
電 話 0884-74-7330
ファクシミリ 0884-74-7337
E-mail nanbu_k_m@pref.tokushima.jp

空き家でお困りの方は…

空き家の活用や売却、処分など徳島県内の空き家に関する総合窓口「とくしま回帰」住宅対策支援センター。

akiya

http://www.tokushima-akiya.jp/

最近、ラジオCMも頻繁に流れているので、耳にした人もいるのでは?

リフォームや相続・税金などもまとめて相談にのってくれるワンストップ窓口。
お困りの方は気軽に問い合わせてみては?

総合相談窓口
TEL.088-666-3124 FAX.088-666-3126
受付時間:一般相談 午前9時~午後5時まで
徳島県徳島市川内町平石住吉209-5
(徳島健康科学総合センター3階 徳島県住宅供給公社内)

 

四国の右下

移住者のための阿波弁講座

 

移住してきた人から「会話が聞き取れない」と真顔で言われました…。

関西から来た方は言葉が似ている部分もあると思いますが、確かに阿波弁は独特です。ここで代表的な阿波弁をちょっとだけ紹介しておきましょう。

●いける
訳:大丈夫、OK

例)いけるで~? 意味:「大丈夫ですか?」

 

●えっとぶり
訳:久し振り

●わんく、うちんく
訳:あなたの家、私の家

●へらこい
訳:ずる賢い

●しわしわ
訳:ゆっくり

例)しわしわせんか 意味:「ゆっくりやろう」

●あるでないで
訳:あるじゃないですか

 

●せこい
訳:苦しい

例)食べ過ぎてせこい 意味:「食べ過ぎて苦しい」

 

●なんしょん?
訳:何してるの?

 

 

●まけまけいっぱい
訳:すりきれ一杯、めいっぱい

 

●どくれる
訳:ふてくされる

●〇〇しまわる
訳:(良くないことを)~する
例)邪魔しいまわる 意味:「邪魔をする」

 

●かんまん
訳:かまいませんよ。

●たってくる
訳:飽きる

●行っきょん?
訳:行くんですか? 行くところです。

 

●どちらいか
訳:どういたしまして

●ほ~え~
訳:へ~そうなんだ~

徳島県内でも南と西、県央部でもちょっとずつ違いますので、耳を澄ましてみて下さいね。

恋する灯台プロジェクトを知ってますか?

唐突ですが、『恋する灯台プロジェクト』って知ってますか?
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恋する灯台プロジェクト http://romance-toudai.uminohi.jp/

一般社団法人日本ロマンチスト協会と日本財団(東京都港区)が共同で日本全国の灯台から、ロマンスの聖地にふさわしい灯台を「恋する灯台」とし、灯台がある地域を「恋する灯台のまち」として認定。

灯台を地域に観光資源として再価値して、灯台に訪れる人を増やし、ひいては海への関心を高めていくプロジェクトです。

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そんなイケてる灯台に阿南市蒲生田岬灯台が選ばれました!

————―――――――――以下紹介文

四国最東端の岬にあり、日の出を見るのは最高のスポットだ。
晴れた日には遠く大鳴門橋、淡路島、和歌山県まで望めるダイナミックな風景を見せてくれる。
近くにある「波の詩」は波と風をモチーフにした石のモニュメントで、ハートをイメージした空洞からは伊島や水平線を望むことができる。
強い想いをもって恋人同士で眺めれば、2人の未来も見えそうだ。

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ですって( *´艸`)

カップルでぜひ、蒲生田岬灯台へ、行ってみて下さいね。

平成29年木岐椿まつり開催

今年も木岐椿まつりが開催されます。

木岐漁港となり、満石神社境内にて各品種椿展示や椿油、苗木の販売を行います。

お茶のお接待もありますよ。

◎木岐椿まつり
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3月19日(日)9:30~15:00

※雨天でも行います。

 

 

 

日本のお山に帰りたい~岩本さんが加茂谷で協力隊になるまでの話⑨~

この話は、阿南市加茂谷の地域おこし協力隊・岩本昌子さんが、なぜ、徳島に来たのかを本人が綴ったエッセイです。

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第九回 地域おこし協力隊?

 

日本帰国直後からすぐに家を出て80日間の歩き旅を経て、ようやく実家に一時的に腰を落ち着けた私は、パソコンを開き日本での新たな暮らしのための仕事を探し始めた。

 

元々、帰国後の新しい暮らしのイメージの中に、都会に住んで毎日スーツを来て通勤列車で高層ビルに通うという光景はなかった。

ここまで約20年の社会人生活で、東京のど真ん中へ通勤する毎日も、マンハッタン暮らしも経験し、大都会での生活はもう十分だった。
米国で「日本のお山に帰りたい」と思っていた通り、どこか地方都市か田舎の街で自分の生活が支えられるような仕事が見つかれば、そしてお山に囲まれて静かに細々暮らしていけたら十分だと思っていた。

 

四国の地元の人達になにかご恩返しができるようなことがしたい。

 

そう思いながらパソコンの検索を繰り返していた私の前に、程なく次々と検索結果に出てくる言葉があった。

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「地域おこし協力隊」・・・・何を隠そう、この時初めてこういう制度があるということを知ったのだった。

 

歩きで四国遍路をするということは、同時に四国じゅうの田舎という田舎町や村をくまなく歩いて見て回るということに他ならない。

遍路前も遍路中も四国で仕事を探す、ここに住むという事は考えになかった私だったが、期せずして四国のどの地域はどのような町並みで、産業は何が盛んで、店や学校やその他の施設の状況はどうだ、といった情報を頭のなかに集めてしまっていた。

歩いていると不思議なことに、地域によっては何かとても良い雰囲気が全体から漂ってくるところもあれば、反対に理由は定かでないが妙に嫌な感じがするという場所も正直あった。

別にその地域の住民と何か言葉を交わしたというわけでもなくても、それどころか誰にも会わずに普通に歩いて通り抜けただけにも関わらず、「ここは何かいい(嫌な)感じ・・・」という印象が残る地域それぞれ数カ所、四国の様々な場所で出会ったのだった。

 

つづく…

 

 

日本のお山に帰りたい~岩本さんが加茂谷で協力隊になるまでの話⑧~

この話は、阿南市加茂谷の地域おこし協力隊・岩本昌子さんが、なぜ、徳島に来たのかを本人が綴ったエッセイです。

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第八回 「おまけ」が、人生を変えた

 

高野山以降の部分は完全に「おまけ」だったが、この「おまけ」こそがその後の私の人生を大きく変えるきっかけだった。

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四国遍路をしている間、道がわからなくて困ったことはまずなかった。
歩き始めの頃こそ、電柱や手すりに貼ってある矢印のサインや道標を見つけるのに手間取ったが、慣れてしまえばすぐに見つけられるようになった。

山の中にも、正しい道にはいたるところに札が下げてあった。

遍路を始める前に登山やハイキングの経験も殆どなかったため、日本の山道はこういう風に標識がちゃんとあって道もわかりやすいものなのだろうと思っていた。

その認識が間違いであったのを思い知らされたのが、京都や奈良の山道を歩いた時だった。

 

標識が、ない。

 

山道を歩いていてあの見慣れた札が木の枝から下がっていないことは、とても不安な気持ちにさせられた。
あげくに、山越えで長谷寺に向かっていた時はついに初めて道に迷ってしまった。(この時は、幸い携帯の電波がある寺に近い場所だったので、地図アプリで位置を確認して適当な斜面を無理やり下りたのだった)

この時初めて、わかったのだった。
四国を歩いている間当たり前だと思っていたことは、当たり前ではなかったのだ、と。

四国で一度も迷わなかったのは、遍路道沿いに標識がついていて、道も歩きやすく掃除がしてあったりするのは、自然とそうなる訳でもなく「当たり前」ではなかったのだ。

65日間、なんら危険な事にも会わず安全にお遍路を回ることができたのは、私個人の力でも何でもなく、この道を整備してくれている地元の人々やお寺さんのおかげだった。

 

山里の集落を通り抜けている時、分かれ道でふと立ち止まり標識を確認していた私の背後50メートル向こうから、「こっち〜!!」と叫びながら手で正しい方向を指し示してくれたおばさんがいた。
先程すれ違ってこんにちはの挨拶を交わした彼女は、通り過ぎた後も実は私の行く方向を見ていてくれていたのだ。

 

四国じゅうの遍路道の陰には、誰にも知られなくとも日々道を整備したり、季節ごとに草を刈ったり掃除をしたり、休憩所を整えたりしてくれているこれらの数多くの地元の人々がいる…そのことにようやく気づいた時、私の中に湧き上がってきた思いは、彼らの静かな献身に何かお礼をしなくてはいけない、「ご恩返しがしたい」だった。

日本のお山に帰りたい~岩本さんが加茂谷で協力隊になるまでの話⑦~

この話は、阿南市加茂谷の地域おこし協力隊・岩本昌子さんが、なぜ、徳島に来たのかを本人が綴ったエッセイです。

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第七回 80日間、歩き旅

まったく事故もなく、怖い経験も嫌な思いをすることもなく、終始ただただ楽しく歩き回って、別格20番のお寺から1番の霊山寺に戻った。

次の日には、徳島のフェリーポートまでも歩いた。
フェリーに乗って和歌山港に到着し、和歌山市内も遍路装束で観光して回ったあとは、なんと高野山のふもとまでも2日間かけて歩いた。
もちろん、ここまで来れば高野山だって町石道を1日かけて歩いて登った。
(現在まで3回高野山に行っているが、未だに歩いてしか登ったことがない)

高野山の赤門から奥の院の弘法大師御廟まで歩けばゴールもゴール、流石に四国遍路としてはこれ以上歩く場所はない。

それでも、まだどうしても「歩き足りない」「まだまだ歩きたい」という強い思い出いっぱいだった…。
単に70日もただただ観光しながら歩くという気楽で自由な暮らしをしていると、現実世界に戻りたくなかっただけだ。

 

ちなみに、和歌山から高野山までわざわざ歩いたのは、秋の最後の三連休の高野山の殺人的人混みを避けるためにわざと日程をずらすためだったが、この時道中訪れていた寺の中に紀伊の古刹根来寺があった。
ここは真言宗18本山の一つ。
ちなみに、四国遍路で訪れていた善通寺と高野山の金剛峯寺も18本山に含まれる。

ここで、私のスタンプラリー熱に別のスイッチが入った。

次の日、京都の醍醐寺にいた。
そこから京都市内のありとあらゆる有名寺を見て回りながらほぼ1周。
そして、奈良県の北半分をこれまた名所を見ながら一周。
そして、六甲山を縦走し、ついに80日に達したところでようやく私の「長い歩き旅」は終わった。

12月になっていた。

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日本のお山に帰りたい~岩本さんが加茂谷で協力隊になるまでの話⑥~

この話は、阿南市加茂谷の地域おこし協力隊・岩本昌子さんが、なぜ、徳島に来たのかを本人が綴ったエッセイです。

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第六回 日本帰国

 

 

 

2015年9月10日、日本帰国。

同年9月17日。高速バスは明石海峡を渡り、私は徳島県に初めての一歩を踏みしめた。

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それから65日間、四国一周歩き旅は楽しく楽しく、ひたすら楽しく続いた。

道中雨にあったのは、なんとわずかに3回。

もともと素晴らしく晴れ女だと自分でも思っていたが、今回は特に我ながら感心した。
晴れすぎて、この年の秋の四国は異常な乾燥、水不足。

後に加茂谷のお爺ちゃん達から「去年の秋はあまりに雨が降らんから、ミカンに毎日水やるのが大変だった…」と遠い目で聞かされるたびに、心中少し申し訳なく思ったぐらいだ。

 

ちなみに、65日というのはやや日数がかかっているように見える。

これは88ヶ所霊場の他に別格の20霊場も回り、道沿いのありとあらゆる観光名所に立ち寄っていたからである。
純粋に観光と温泉でゆったり休んでいた日数を数えると14日もあった。
つまり50日ほどで88ヶ所+別格20ヶ所も回っているので、実は少し速いぐらいなのだ。

足摺岬以降そのまま西の海岸線沿いを回って愛媛に向かうルートをとったが、これは最短ルートよりも2日余計にかかる。
まったく好天さまさまだった。

 

 

 

 

 

日本のお山に帰りたい~岩本さんが加茂谷で協力隊になるまでの話⑤~

この話は、阿南市加茂谷の地域おこし協力隊・岩本昌子さんが、なぜ、徳島に来たのかを本人が綴ったエッセイです。

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第五回 四国にしよう、歩き遍路にしよう。

 

普通に歩いて一周すると一般男性でだいたい50日。
ルートも決まっており、しっかりとした地図もある。
山の中の道もあると同時に里や街の中を歩く部分も多い。
つまり、いざという場合は逃げ場がある。
なにより、88も寺が有るので、目標をもって歩くことができる。ルート上に宿泊場所も十分にあり、なにより他にも沢山の「歩き旅をしている人達」が道をうろうろしている。

四国にしよう、歩き遍路にしよう。

何の事はない、四国遍路をすると決めたのはまったく信仰心でも、願掛けでも、自省目的でも己への挑戦でもなく、「長い距離があって、一番気軽にやれて、便利で安全そう」という理由でしかなかったのだ。

 

ただ、遍路をすると決めたからには、お参りや納経はきっちりやろうかと思い、装束も揃えた。
これは「コスプレは完璧であればあるほどカッコイイ」という理由からだったが、後に全身バッチり遍路装束に固めていることの実質的な効用が明らかになっていくのだった。

そして、米国にいる間に写経も数十枚溜め込み、長年住み慣れたアパートを空にして引き払い、早朝の空港から飛び立ち、米国と約10年間の異国暮らしに別れを告げた。

オバマ大統領はあと1年の任期、米国人の多くが、少なくともワシントン市の若者たちは、次の大統領は史上初の女性大統領だと信じて疑っていなかった。経済不況は過去のものになり、大学生卒業間近の友だち達は次々と華々しい就職先を手に入れていた。

ただ、経済新聞記者としてスタートした時からのゼロ金利は、「金利引き上げ」のニュースでもって退職できるとの予想を裏切り、結局ずっとゼロ金利だった。

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