1981年に開講した寂聴塾。徳島県の文化向上のため、瀬戸内寂聴さんが手弁当で始めた私塾だ。その寂聴塾の2期生で、現在も交流がある小林陽子さん。今、地域の存続をかけて日本全国の自治体が取り組んでいる“移住”。小林さんは美波町の移住コーディネーターとして活動し、これまでも人と町とをつないできた。そうした移住の現場で問われるのは「住まいと仕事」ではなく、「地域の魅力」や「人間関係」。それは寂聴さんが寂聴塾を始めたときに考えたことと、どこか重なる部分があるのでは…と、寂聴塾開講35年の節目を迎える今年、もう一度教えを請うため、早春の京都へ向かった。
※インタビューは敬称略。このインタビューは2016年3月上旬のものです。

小林:先生、今年でね、寂聴塾の2期目が終わって30年になるんです。
寂聴:まあ、ほんとう!
小林:先生が寂聴塾を始めてから35年なんですよ。今回のインタビューにあたって計算したら30年以上経っていてびっくり。今回はホンマにええ機会だと思いまして。当時、先生が徳島で塾をされようと思ったのは何かきっかけがあったんですか?
寂聴:私は徳島で生まれて育ったからね、故郷に恩返ししようと思っていたんですよ。それまでは自分の生活に無我夢中だったから。あの頃いくらか時間的にも余裕ができていたんです。私の前には徳島から作家は一人も出ていないし、無償で塾をやりました。
小林:寂聴塾へ行って、私もよく考えるようになりました。
寂聴:あんまり文化度が低いからね。ちょっとでもものを考えるように。本を読むように。最近の人たちは自分のことしか考えないからね。生きている限りは自分の幸せだけじゃなくて、世の中の自分というものを考えるべきでしょう?「世界と自分」というものを。考え方を大きく持てということを教えようと思って。塾生はみんなよくなりましたよ。とてもイキイキして勉強するようになりました。徳島の人間は素質は優秀なんですよ。頭がいいんです。偉い人があんまり出ないからコンプレックスを持っているけど、みんな非常に優秀なの。だからもっと自由になった方が良いですね。
小林:それはずっとおっしゃっていますね。
寂聴:優秀なのに優秀でないように思い込んでいるのね。それで卑屈になっている。 不必要なコンプレックスに抱えている。
小林:徳島のイメージって、どんなものだったんでしょうか?
寂聴:徳島って、全国的にあまり知れていないのね。「徳山ですか?」とか「福島ですか?」とかね(笑)。 それで「阿波踊りの徳島です」っていうと「ああ」って言って思い出してくれる。だから、徳島の人にもうちょっと頑張って欲しいし。そのためには若い人を励ますしかない。 そう思って塾を始めました。
小林:私、文章を書く塾って知らなくて入ったんですけど、逆にそれがすごく良かったです。書くことによってだんだん自分がわかってきた。何をしたかったかとか、何に悩んでいたかとか。
寂聴:寂聴塾を始めた時、最初ものすごくたくさんの応募があったんですよ。その中から選抜して、50人ほどの人を迎えました。50人くらいでしたら顔も覚えられますからね。

小林:寂聴塾で教えていただいたことがすごく役にたっています。私、今、移住コーディネートをやっているんですが、美波町へも移住希望者がたくさん人が来るんですよ。
寂聴:陽子さんはね、いつも世の中の動きより一歩早いよね。あなたから思いついたことが必ず問題になって、社会的な動きになるのね。だから政治家になった方が良い。
小林:政治家っぽい衣装はあるんでいつでもなれますよ(笑)。30年前、大阪からUターンしたときの経験は今でも忘れられません。故郷へ帰ったにもかかわらず、「おかえり」っていう感じがあまりなかったんですよ。
寂聴:私も徳島へ帰った時「おかえり」なんてなかったけどね。まあ私の場合悪いことして出てきているから(笑)
小林:私、悪いことして出てきてないもん(笑) 今、移住が社会現象になっていて、移住を希望する人の相談を受けると、ほとんどの原因が人間関係なんです。
寂聴:ああ、それは例えば会社の人間関係とか家族の人間関係とかが多いでしょう?
小林:はい。年配の方が引っ越してきても、親子関係が切れているんです。だからその子供たちはついてこない。ご年配の方お一人でやって来る。 田舎の人間関係が煩わしくてみんな都会へ行くと思っていたんですが、今は人間関係を求めて田舎へやって来るんですよ。

寂聴:人間関係を求めているの?
小林:そうなんですよ。「どないしよる?」と心配してくれたり、声をかけてくれたりするのが嬉しいと言っている。そのことに私はびっくりしているんです。
寂聴:やっぱりみんな寂しいのね。孤独なんでしょうね。都会の人達は。人がうじゃうじゃしているんだけど関係ない人ばっかりだもんね。電車に乗ってもみんな関係のない人。マンションだって、隣の人が誰かなんてわからないもの。
小林:そうですよね。私が移住相談をしていると、寂しいのか、そうやって声をかけてくれることが嬉しいと言って人がやってくる。
寂聴:相談婆さんみたいになったら良いじゃない。細木数子みたいな占いをする人。この間新聞を見たら宗教法人を始めるとか書いてあった。宗教法人なら税金がかからないから。それでいよいよお金儲けをするって書かれてましたよ(笑)
小林:相談婆さんになるのはいいんですけど、私ってお節介の度がすぎるでしょう?だから人に深入りしてしまうんですよ。阿波女は情が深いと言いますか…。
寂聴:それはあなたの性格だから、なんでも深く入るのね。人間関係って本当に煩わしいからね。例えばね、私のところに亭主の悪行ばかり言ってくる人がいるんですが、そういう人に「もう別れたら良いじゃないの」って言う。「そんなのもう治らないよ」って。そしたらね、「ああ、そうですね」と言って帰っていく。でも今度は亭主から電話がかかってきて、「ようも言うてくれたな!」って怒ってくるのよ。 だからね、聞いてあげれば良いの。聞いてあげれば、答えはいらないのよ。
小林:はあ、そうか。
寂聴:「こうしたらいい」なんて絶対言っちゃダメなの。「そうね、そうね、辛かったね」と言って、「でも良い時もあったでしょう?」と聞くんです。そうすると「はい、昔は〜」と良い頃のことも思い出して心が安らぐ。それからね、あなたは進歩的だから移住促進のことを前へ進めていこうとするかもしれないけどね、「また陽子さんが出しゃばっていらんことしよる」って思っているかもしれんよ。
小林:気をつけないといけないですね。
寂聴:それでだいたい嫌われているのよね(笑)
小林:そんなこと言わんとってください!(笑)今、東京とかで行われている移住フェアはものすごい大きな会場に各県がブースを出して、移住者の取り合いのようなことが起きているんです。各自治体の担当者はその中でどうやって移住者を獲得するか考えなくてはいけない。移住先は東京から近い長野県や山梨県が人気ですけど、寒いのが嫌で、冬になると、もう、ただぬくいという理由だけで美波町へやってくるんですよ。
寂聴:ははは。
小林:笑い事じゃないですよ。
寂聴:それはあなた、笑っていいのよ。その人たちが簡単に移住を考えているから。
小林:さっき、「移住者の話を聞いてあげれば良い」っておっしゃっていましたけど、話を聞いていたらついお説教みたいに言ってしまうことがあるんですよ。
寂聴:それは言っちゃダメ。向こう側が辞めざるをえないように言わなきゃいけないの。
小林:テクニックがあるんですか?
寂聴:「いやあ、それは辛いですねえ」って言って、「でもね、ここへ来たら違う辛さがありますよ」って。「あなただけに教えますよ」って言うんです。
小林:なるほど。
寂聴:それでダメなこといっぱい、いっぱい言うのよ。
小林:そうか!町に合わないという人には、ダメなところを言えばいいんですね。
寂聴:「この町に人がいないのは、みんな人が出て行ったからですよ」って言うのよ。
小林:美波町は移住者を受け入れないと人口もどんどん減っていって、過疎になっていく非常事態なんです。ほっておけば誰の管理もされない空き家は増えていくし、若者は減るし、漁村だったのに魚屋さんもなくなった。とにかく人が減るっていうことの恐ろしさを、みんな今になってやっと実感し始めているんだと思うんです。今、移住のことをさせてもらって思うのは町の質、県の質を上げていかないと移住者を獲得できないということなんです。先生も徳島は「文化果つるところ」とおっしゃっていましたが…。
寂聴:徳島は全国で最も本を読まない県みたいですよ。私の全集が出た時も、全集なんか買う人いない。そういうところなんです。
小林:移住者は人間関係を求めてくるんやけど、文化的な質の高さがないと見知らぬ土地で生活を続けていくことは難しいと思うんです。私が寂聴先生のところへ行ってホッとできたのも、文化的なものがあったからなんです。
寂聴:私が塾をしたのもね、文化を高めたかったからなんです。少なくとも塾生はものを考えるようになった。
小林:寂聴塾へ行くことで田舎暮らしの埋没感から抜け出せたんですよ。大阪から戻った当初は、日和佐にいるとだんだんだんだん沼の中に入っていくような埋没感があったんですが、先生のところへ行くと回復したんです。
寂聴:あなたも塾をしたら良いんじゃない?塾の経営者をやったら? SEALDsみたいな若い人に来てもらって、そんなに高くない金額でやってくれるような人を講師として連れてきたらいいじゃない。
小林:それは良いですね。そしたら町も注目を浴びるし、感度の高い移住者が集まるし。やるとしたらどこでやったらいいですか?美波町?徳島市内?
寂聴:うーん、美波町だとちょっと遠すぎるわね。徳島市内まででしょうね。

小林:私がもうひとつ、移住支援している中で悩んでいることがあるんです。ボランティアで移住のお世話をしていた時は、自分の気の合う人だけを選べた。でも今は移住を希望する人が多すぎて…。赤ちゃんから90歳の人まで来るんです。
寂聴:赤ちゃんはお母さんに連れられてくるのだろうけど、90歳の人はなぜ移住するの?
小林:理由を言わないんですよ。「田舎で自分がしたいことをしたい」とか、「年金だけで暮らしていて、お金がない」とか当たり障りのないことしか言わない。行政も高齢者の地方移住を推進しているんですけど、心の底でみんなが移住してきて欲しいのは、若い人なんですよ。
寂聴:でも若い人はあんな田舎行きたがらないんじゃない?
小林:それがこの頃来たがるんです。
寂聴:ああ、そう。
小林:都会で疲れた人が来たがりますね。
寂聴:そしたらじゃあ、若い人だけ呼べばいいじゃないの。
小林:若い人は仕事や家、場合によってはお子さんのことまで面倒見ないといけないから大変なんです。昨年、ドイツで暮らすハーフの夫妻が日本での暮らしを子供たちに体験させたいと短期移住されていたんですが、その時なんか小さいお子さんがマダニに噛まれて、隣町の病院まで車に乗せて走りました。今、私は町から“移住コーディネーター”という肩書をいただいているんですが、一昨年までの給与は月3万円。電話代やガソリン代で無くなってしまうようなお金でしたけど、でも、それでもまあ良いかなと思ってやっていたんです。でも移住相談に来る人が多すぎて、みんな生活にも困り、疲れ果てているのでこちらの負担も大きいんです。先生は尼さんやからお金をとって悩みを聞くわけではないと思いますが、お金に関してはどうすれば良いですか?それに定住に至るまで、こちらも必死になってお世話したのに、「陽子さんがいなくても出来た」って言われるんですよ。
寂聴:それは腹が立つわね。何でそういうこというの?
小林:わかりません。そういうのがあると虚しく辛くなるんですよ。
寂聴:言えばいいじゃない。
小林:言ってもいいんですか!?
寂聴:いいですよ。「忘れてるの?私が世話したじゃない」って。他の人が言ったらおかしいけど、陽子さんが言ったらおかしくないわよ。
小林:そうですね。
寂聴:辛抱しなくていいの。もう、人間はね、辛抱することないの。今夜、死ぬかもしれないのよ。嫌なことは片付けていったほうが良い。好きな人がいたら今、言った方がいいの。あなたはね、体が大きいしね、よく喋るからみんなは陽気だと思っている。でもね、体が大きい人ほど繊細なの。長年生きてきてわかったんだけどね、「あの人細くて神経も細そうね」と思ったら、その人は図々しい。ぷくぷく太っている人が非常に傷つきやすいの。
小林:傷ついているの、私(笑)
寂聴:だから誰も陽子さんのことを神経細いなんて思ってくれていないのね。

小林:先生、最近はなかなか徳島へも帰れなくなったでしょう。
寂聴:病気をして以来、なかなか。3時間車に乗るというのはとても難しい。
小林:徳島にはあまりいい思い出がないんじゃないですか?
寂聴:いやいや、そんなことない。だってもう随分良くしたから好きです。それに生まれて18年ずっといたところだし。
小林:そうですか。鳴門にも住まわれて、あれは二地域居住という流行りのスタイルですよ。
寂聴:そうね。『ナルトサンガ』を作って、毎月行っていました。そうしたら全国から集まってくるの。本当に全国から来るんですよ。その日だけ。ここでも法話をやっているけど、たくさんの人が来ると全員入らないでしょう。ここに来たくても人数が多いと抽選になるので、落ちた人は鳴門へ申し込んで、どんどん来るから、最初に青空説法をしていたんですよ。でもお天気が合わないみたいで雨が降るの。それでね、みんながかわいそうだからね、鳴門に蔵があったから、蔵でするようにしたんですよ。100人くらいしか入れなかったんだけど、でもね、その蔵がとても良かったの。来てくれた人の顔が見られるしね。近くで会話できるからね。でも私自身が体が弱ってきて、鳴門まで行かれなくなって。だってあと2ヵ月で満94になるんですもの。
小林:また腰の骨を折ったら大変ですもんね。京都から徳島を見ていていかがですか?
寂聴:帰らなくなったからとても良く見えるわよ。なんだかんだ言いますけど、昔に比べたら徳島は随分良くなっていますよ。人にも知られてね。 消費者庁のサテライトオフィスも出来るなんていう話だってありますしね。知事さんのおかげで徳島は良くなったよ。
小林:どのようなところが良くなったと思われますか?
寂聴:今の知事さんは割と積極的だからね。いろんなことをするでしょ?それに陽子さんの邪魔なんかしないじゃないですか。普通は邪魔するのよ。私を上手に使うしね。必要な時はパッと使う。そういうのは政治家ですよ。
小林:他には徳島についてどんなことを思い出しますか?
寂聴:子供の時のことを思い出しますね。箱回しって知ってる?人形回しっていうのが来るんですよ。紙芝居をやる人が絵を持ってくるように人形を担いでくるんです。箱の中には3つに折った人形が6つ、入ってるんですよ。棒に竿を渡してね、その竿につづらの中にある人形を出して、かけるの。それでね、担いできた男が口三味線で浄瑠璃をやりながら人形をまわすの。子供は一銭で飴を買って、その人の前に集まるの。気が付いたらその後ろに大人がいっぱいいて、徳島の人はみんな浄瑠璃を語れるでしょう?だからね、見物のお客さんが浄瑠璃を語ってくれるのよ(笑)
小林:情景が浮かびます。
寂聴:本当にいろんな人が集まってくるんですよ。エプロンをかけたおばさんとかね。うどん屋の兄ちゃんなんか運び終わったうどんの箱を片手で持って見ている。もう、それは楽しかったね。浄瑠璃が始まる合図は太鼓を叩く音なんだけどね、太鼓が鳴ったら子供たちは飛んで行っていた。それを見ていると男と女がいて、付き合って、恋愛をしているわけ。でもそこには幸せだけじゃなくて苦労があるんだなあ、っていうのがわかるんですよ。もちろん当時は恋愛なんて言葉はわからないけど、なんとなく、言いたいことはわかるんですよ。本が読めなくても、人形劇ならわかるじゃない。それは私の文学の原点です。
小林:そういう体験は文化芸術の基礎ですよね。私は今、徳島に文化芸術の基礎になるものが少なくなくなってしまっていると思うんです。寂聴塾から35年。ここを巣立っていった人たちが、今、当時の先生と同じように「徳島をどうにかせな!」という思いを抱えていると思います。世界中に散らばっている塾の卒業生に向けてメッセージをお願いします。
寂聴:みんなに会いたいですね。みんなそれぞれ自分の才能を見つけてやっているからね、嬉しいですよ。やってみなきゃ結果は出ないんだからね。だいたい徳島の人はね、やる前に「あかんよ」っていうんですよね。でもやってみなきゃわかんない。徳島の人は女が優秀なんですね。どこが優秀かというと、経済的観念があるの。だからね、徳島の女をお嫁さんにもらうと必ずお金ができる。どこが経済的かというとね、「始末」っていう言葉があるでしょ? けちんぼとは違うんですよね。それと、よく働くの。夜なべもして働くの。男は遊んでばっかりいられる。だから徳島の女をお嫁さんにもらうと良いの。
小林:そうですね。先生、これまでもたくさんの取材に答えられてきたと思いますが、今、世の中について感じていることは何ですか?
寂聴:それはもう戦争は起きちゃいけないということ。今の政府は戦争したくてしょうがないからね。安倍さんがいる間に改憲したいって言っているでしょう。とんでもないこと。私は長く生きてきましたからね。その経験から言うと、今というのは、長い戦争が始まる前の雰囲気です。太平洋戦争の時もこんな風だったの。そしたら戦争が始まったの。だから、それを知っているのは一握りの人なのよね。 今日も世界のどこかで人は確実に死んでいっているのよね。だからね、あの戦争で生き残っている私なんかは、どうしてもそれを言わなくてはならないのね。戦争が始まったら、本当に、あなたたちが殺されるんだからね。これから生まれてくる子どもが殺されるんだからね。嫌でしょう?そんなの。今度は女にだって召集令状が来るかもしれない。今の政府の人は戦争を知らないから、戦争をしようとするんですよ。戦争を知っている人はほとんど死んでいるし。絶対戦争はダメ。原発もダメ。日本は、地震国なんだから、地震国に原発なんか置いてどうするの?今ね、オリンピックに向けて騒いでいるけれど、そんなお金があるんだったら、東北の被災地の人たちの支援に力を注ぐべきではないかと思いますね。
小林:今日は、ありがとうございました。