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「都会にある仕事」には代えがたいモノが地方にはある~映像クリエイター小林大介さん~

牟岐町に移住交流情報を扱うウェブメディア『MUGIZINE』が誕生しました!タイトルは「牟岐人」と「マガシン」をかけた造語で、町で暮らす人の様子を雑誌のような豊富なコンテンツとインタビューを中心とした読み物で構成されています。このサイトを手がけたのが、牟岐町在住の映像クリエイター小林大介さん。地域おこし協力隊として牟岐町に移住し、起業した経緯を振り返りながら、現在の暮らしについて寄稿いただきました。小林さんのYouTubeチャンネルには自身の好奇心がそのまま投影され、何気ない普段の料理映像にもささやかな感動がきちんと写し出されています。どれも素敵なので、ぜひご覧になってみてください。

YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/user/enigamid/
ウェブサイト
http://www.elvin-ray.com

メール
enigamid@gmail.com

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こんにちは。海部郡牟岐町に住んでいる小林大介と申します。

不思議なもので、全くゆかりのなかった徳島県海部郡牟岐町に移住をして、いつの間にか4年と半年以上が経とうとしています。

ここではボクの今とこれからを、軽く過去を振り返りつつ書いてみたいと思います。

きっとこれを読んでいるのは、移住に興味を持っていたり、今の生活環境を変化させたかったり、何かしら行動を起こそうと考えている方々が多い気がしていますので、地方に移住することや田舎での仕事のあり方など、皆さんの何かの参考になればと思います。

 

日本の地方を見たくて移住

ボクが牟岐町に移住したのは、四国を旅したことで出会った人とのご縁があり、牟岐町の地域おこし協力隊として赴任したのがキッカケでした。

もともと愛知県出身で、30歳までずっと愛知県で生活をしていたのですが、四国を旅する直前は生活拠点をオーストラリアのバイロン・ベイに移し、約2年ほど住んでいました。

ここはバイロン・ベイのThe Passというビーチ。ボクはこの夕日の時間帯に写真を撮りに行くのが好きでした。

バイロン・ベイとは人口がたった約3万人程度(海部郡は約1.9万人)のとても小さな町にも関わらず、年間150万人以上の観光客を呼び寄せることに成功をしている、自然の価値を本当の意味で理解し、観光資源として扱って成功をしている世界的にも数少ない観光地です。

住んでいると渋滞や人が多すぎて逆に困るシチュエーションも多かったのですが(汗)、ボクも住んでいるうちにバイロン・ベイに魅了をされましたし、今でもいつでもバイロン・ベイに帰りたいと思っているぐらい好きな場所です。

ただそこに住んでいて、「日本の地方はどんな感じなんだろうか?」と感じることが多くなり、実際に自分の目で日本の地方を見たくなり…というのも、実はそれまでボクは日本の地方の観光地や衰退を意識してきたことが全くありませんでしたので、帰国し、地方を見て周るためにまずは四国を旅をしてみたというわけです。

そして地域おこし協力隊という制度を利用し、そのまま定住をしたのです。

地域おこし協力隊は二年と半年ほどで退任をし、今はフリーランサーとして活動をしておりまして、早いもので今年で三年目に突入です。

 

地方でデジタルコンテンツ制作

今はコンピューターやデジタルテクノロジーを使ったデジタルコンテンツの制作を変わらず牟岐町に住みながら行っておりまして、例えばウェブサイトを構築したり(バイロン・ベイに移住をする前はウェブサイトを作るお仕事をしていました)、デジタルカメラを使って写真を撮ったり、映像制作を現在は中心に行っています。

撮影現場は徳島に限らず四国で撮っていることが多いのですが、それを山に囲まれた自宅に持ち帰って編集。

東京などの都会に行った方がこうしたお仕事は多くあると思いますが、目の前の山の景色や、ちょっと車を走らせるとアクセス出来る海など、「都会にあるお仕事」には代えがたいモノが地方にはあると、ボクは常々感じています。

地域おこし協力隊時代から、以前から好きだったコンピューターを更に追求するようになり、一眼レフの楽しさにどっぷりとハマって、毎日1000枚以上も写真を撮っては現像を繰り返す毎日を送ったり、ドローンを購入し、田舎の今まで見たことのない風景を撮影し、それを編集することをで映像制作を始め、映像制作を学びながら作品を作っていくうちに、いつの間にかお仕事としても制作するようになったのが独立のキッカケだったように思います。

例えば、独立した後に牟岐町から依頼されて制作したPR動画。

町に移住したキッカケや、その後の数年間の活動が地域おこし協力隊だったこともあり、町との関わりは退任してからも多く、独立をした後も牟岐町と一緒にお仕事をさせていただくことも少なくありません。

 

ウェブメディア「MUGIZINE」の立ち上げ

平成30年度からも、牟岐町が移住に興味のある方、もしくは移住に関わらず牟岐町に関わりのある方々に向けて情報発信を行っていきたいという要望から、ウェブマガジン形式のウェブメディア『MUGIZINE』を立ち上げました。


https://mugizine.jp/

牟岐に住む人々にインタビューを行い、コンテンツ化している『MUGIZINE』。

こうしたデジタルコンテンツは、移住に興味のある方に読んでもらうことでリーチできることと、デジタルでアーカイブ化していくため、半永久的に価値を生み出すことが出来るのがなによりも強いと感じています。この取り組みや制作により、牟岐町の移住に興味を持つ方や移住者や交流人口が増えていくと制作をしている側としてはこの上ない喜びです。

 

YouTube動画も制作

自身で映像も撮れるし、編集も出来るので、時代に乗りせっかくならとYouTubeでも動画をアップしていたりもします。

これは徳島県に移住して心から良かった!と思えることのひとつ「すだち」と出会ったことで、すだちを使った料理動画を撮りたくなって撮ってみたものです。よくある移住者話ですが、徳島県に移住する前はかぼすとすだちの違いを意識したことは全くありませんでした(笑)が、すだちは本当に最高に好きな食べ物のひとつとなりました。

なのでこの動画は一見鮎が主役に感じられますが、主役は実はすだちです(笑)

徳島県は美味しいものが多いのにも関わらず、いまいち上手にPR出来ていなく勿体無いなと感じることも多くあるので、例えばこうしたすだちを使った料理動画は、ボクの地産地消的なアプローチや料理動画プロジェクトとして、何か形にしていきたいなと感じているところです。

最後に

というわけで、ボクの移住から現在を簡単に書かせていただきました。

ボクは今牟岐町に住んでいますが、これから先ずっと牟岐町で暮らしていくのかと考えると、確実な答えは見つかりません。ただ、間違いなく言えるのは牟岐町が好きですし、牟岐町でお世話になっている人たちがいるからこそ、今牟岐に住めているのだということです。

なので、移住に興味を持っている方や、田舎での仕事について興味のある方が、動画を観て牟岐町に興味を持ったり、MUGIZINEを読んで興味を持ってもらったり、時には実際に足を運んでくれたり、鮎の塩焼き動画を観てすだちを絞ってみてくれたら、ボクはこの上ない喜びですし、今後も文章や写真や動画を観ている人に、価値を与えられるお仕事をこれからも地方で続けていこうと思っている次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界が注目するお遍路文化!?~平等寺副住職 谷口真梁さんインタビュー~

四国の右下エリアでの暮らしを語るとき、欠かせないのがお遍路。今では外国人の歩き遍路の方も増え、地域の方達が身振り手振りで会話し、お接待をする光景はほのぼのとあたたかい気持ちにさせてくれます。四国霊場第二十二番札所平等寺はお遍路さんや一般の旅行者が泊まれる宿坊があり、いち早くフリーWi-Fiも設置。お遍路さんや檀家さんだけでなく、一般の人も気軽るにお寺へ足を運んでもらえるよう、毎月第二日曜日、誰でも参加できる法会とお接待のランチと共に仏教に親しむ「日曜礼拝」を開催。お寺と親しむ機会を増やし、地域との交流を大切にする副住職の谷口真梁さんにお話をお聞きしました。


四国霊場第二十二番札所 白水山平等寺 https://www.byodoji.jp/

 

生い立ち~平等寺の住職の息子として生まれて~

四国八十八箇所霊場第22番札所平等寺の住職の息子として徳島県阿南市に生まれました。姉が二人の3人姉弟の末っ子です。高校を出るまでずっと平等寺で育ちました。

幼い頃はお遍路さんがなぜ自分の家のお寺にお参りに来ているのかもわからず、落ちている木の枝を拾ってはお遍路さんをつついたりといういたずらをしては叱られていました。ある日、焼き芋をしようとして大師堂の裏で枯れ葉を集めて焚き火をしていたら、お寺の従業員さんに大師堂を燃やそうとしていると思われ、こっぴどく怒られました。それに懲りて、それ以来遊ぶ時でもお寺の方には近づかなくなりました。

阿南市でも特に田舎の新野町で小中高校に通い、高校卒業までは仏教や寺のこととは無縁の子供時代を過ごしたので本当に何も知りませんでした。実は高野山大学に入ってから般若心経などのお経を覚えたほどです。

父親が僧侶で平等寺の住職であるにも関わらず、大学に入るまで僧侶とは何をする仕事かもほとんど知りませんでした。僧侶とは人を楽しませるような仕事かなとなぜか思っていたので、高野山大学の1年目の授業から空海のことを学んだり、古い経典や古文書を読まされたりしてびっくりしました。高野山大学では通常1年生や2年生で僧侶になる修行ができますが、私は最初は何だか抵抗感があり、ギリギリ4年生になってようやくその修行をしました。

なぜ僧侶になると決めたのか、特別な理由は正直な所ありませんでした。ただ、反対に僧侶になりたくないと思ったり、高野山大学に行かないという選択を考えたことは不思議とありませんでした。

大学に入った頃からちょうどパソコンが一般的に普及し始め、そこで初めてパソコンに触れプログラムを組むようになり、そういう仕事もいいかなと思った一時期もありました。ただ、次第にプログラマーになるという考えは薄れていき、やはり僧侶の道を選びました。今でもその選択に疑問はありません。

高野山大学から同大学院に進みました。専門は仏教宇宙論の研究です。2千年前に仏教のお坊さん達が頭の中で何を考えていたのかを実際に図面にしてみようと思い、やってみたらけっこう面白かった。修士号を得て、更に博士課程を全部終えた後、高野山真言宗総本山の金剛峯寺で勤務することになりました。

高野山大学の博士課程では課程終了後3年以内に博士論文を書かなくてはなりません。金剛峯寺に勤務しながら空き時間に博士論文が書けるのではないかと思っていましたが、本山勤務は本当に激務で論文を書いている暇がない程、朝から晩まで働き詰めの毎日でした。事務所で朝3時ぐらいまで働いていることはざらでした。これは一つには私が勤務していたのが国際局で外国相手なので、時差の関係もありました。当時、国際局にはスタッフが一人しかおらず、それが私でした。私が入る1年程前に国際局はできたそうですが、設立当初のスタッフは皆別の部署に移動し、まだ新米の自分一人というハードな状況でした。今では国際局は4人体制になっています。仕事内容は主に、海外に出向している僧侶達のサポート業務で、ビザの申請・延長などひたすらパソコンに向かってのペーパーワークでした。米国で高野山がNPO法人を立ち上げた時も、そのNPO法人申請書類を作ったりもしていました。海外に出向した僧侶たちは、大抵の場合は宗教家ビザで滞在しています。当然ビザの延長手続きなどが必要になりますが、本人達は非常に一生懸命布教活動をしており、超多忙でビザ申請などをしている暇はないので、こちらがしっかりと支援しようと思って頑張りました。

その他には、高野山にやってきた、在日諸外国の大使や要人の接遇などもしていました。まだ、高野山が今の様に外国人観光客で溢れかえる前で、高野山を訪れる外国人は、大使や大使館員など限られた人たちでした。私は頻繁に東京に出張に行かされましたが、その際には行き先は大使館であることが多かったです。

あと、高野山にやってきた外国人のツアー団体客を奥の院の裏の山の中に案内し、そこで阿字観体験をやったりする仕事は面白かったです。今、高野山は森林セラピーでも有名ですが、それの外国人向けみたいな感じのものをやっていました。

金剛峯寺勤務時代の最後の方には海外出張が多くなり、しかも一度行くと2週間ほど滞在する長期出張が頻繁にありました。

米国ワシントン州のシアトル高野山では、「高野山カフェ」などを開いて、現地の人達に写経や、阿字観体験をしてもらうなどのイベントの企画や運営にも多く携わりました。私がとても尊敬している非常に優れたお坊さんがいらっしゃり、その方が布教活動に尽力されていました。その人と一緒に働くことができたのはとても貴重な経験だったと思います。こうした出向されている僧侶の皆さんの懸命な活動のおかげで今ではシアトル高野山には80人が一度に瞑想できるような立派な道場も建っています。

 

帰郷~新野のまちづくりに積極的に関わる~

17年間高野山で過ごした後、ついに徳島に帰って来て平等寺の副住職になりました。そこからは自分の地元である新野町のまちづくりなど地域に関わった活動に力をいれています。

大学院時代に、高野山で国際密教学会が開かれたことがあります。テーマは「社会参画型仏教(Engaged Buddhism)」でした。それは大乗仏教としてごく当たり前のあるべき姿だと思っていましたが、自分の寺に帰ってきてみると、現状では地元の地域社会に参加して活動しているとは十分に言えないと思いました。そこで、地元のまちづくりグループに顔を出すようになり、地域や檀家さん皆さま達と一緒に何かをやりましょうと言い出すようになりました。そこから地元のために率先して色々やるようになり、新聞やラジオなど地元メディアにもよく取り上げて頂くようになりました。

自分がこれから守っていくお寺自体の改善にも着手しました。寺をどうしていこうかなと考えていた時に、お遍路さん達からトイレや納経所をきれいにして欲しいという声があったので、その要望に答えることにしました。もちろん一番大切な本堂もきれいにして、遥々お参りに来て下さるお遍路さん達をお迎えしようと思い、改築することにしました。以前は通常は一般公開していなかった御本尊も「隠す理由は特にない」と思い、加えてせっかく美しいお姿していらっしゃり状態も良い御本尊でしたので、厨子からお出ししていつでも見える状態で本堂にいて頂くことにしました。

平等寺の境内の中では、どこでも何でも写真を撮って下さって構いません。カメラを向けただけで汚れたり、不敬だと思われるほどヤワな仏様たちではないと思います。

 

外国人お遍路さんのためのサービス充実

高野山から帰って来てまず驚いたのは、子供の頃には全くと言う程見なかった外国人お遍路さんが突然増えていたことです。

遠い国からわざわざやって来て下さる彼らのためにまず最初にしようと思ったのが、フリーWi-Fiの設置です。金剛峯寺勤務時代に海外出張に行った際、Wi-Fiやインターネット接続が無くて本山と連絡が取れずに困ったことが何度もありました。外国人お遍路さん達は四国を回っている間、Wi-Fiがない場所では通信手段がなくて大変だと思います。よしんば通信が可能な機器を持っていたとしても、利用には多額の料金が余計にかかっているはずなので気の毒だと思ったのです。私自身がその苦労がわかるので、とにかく最初にWi-Fi設置をやってあげたかったのです。今、平等寺境内の中のWi-Fi環境は非常に良く、納経所付近はもちろん上の本堂や隅の不動堂の辺りでも十分に通信できます。

あとは、納経所のスタッフがどこの国の方ともコミュニケーションできるように、ハンディ翻訳機も購入しました。50ヶ国語対応できるようです。

また、外国人お遍路さん達はテントを背負って野宿をしながらお四国を歩いて回られる人が多いです。朝にお隣の勝浦町から山を登って20番札所の鶴林寺にお参りし、山を下りて再び次の山を登って21番札所の太龍寺、そしてまたまた山を下りて、最後に少し低い山を越えるという「四国遍路第2の遍路ころがし」といわれる部分の終着点に当たる場所に平等寺はあります。ですから、この周辺で一日を終えて疲れを休めるお遍路さんが多いのです。野宿のお遍路さん達は、平等寺の境内でテントを貼って一晩過ごして頂いても構いません。仁王門を入ってすぐの鐘楼と大師堂の間に広く空いたスペースがありますので、納経所に一言声を掛けて頂けば、あとはご自由にテントを設置して下さい。トイレや水道もそばにあります。ただ、古い寺ですので火の気だけはとても注意しています。煮炊きやヒーターのご使用だけは、ご遠慮頂けるとありがたいです。

通常は朝6時から本堂で朝勤行をしています。平等寺境内に泊まっている方も、近隣の宿泊施設に泊まっていらっしゃる方も、どなたでもご自由に見に来て下さい。ご自由に本堂内に入って畳の上に座って頂いて大丈夫です。もちろん、写真やビデオの撮影もして頂いて構いません。

毎月8の付く日(8日、18日、28日)には午後3時から本堂で護摩もしています。だいたい1時間から2時間で終わります。こちらもご自由にご覧下さい。

 

 

看護師募集中!上那賀病院で、一緒に働きませんか?

徳島市内から国道195号を高知方面へ進むと、山間に白とグリーンのモダンな建物が見えてきます。そこが那賀町立上那賀病院。那賀町のほぼ中心に位置し、病床数40床の小さな病院ですが、那賀町の医療拠点として24時間365日の救急受入体制を行っていました。しかし平成最後となる今年4月1日、看護師不足により、平日の夜間診療、土日祝の救急車の受け入れ、時間外の外来の受付を休止。“少子高齢化による人手不足”を絵に描いたようなこの問題を前に、町と病院が共同で人材確保にあたっています。

上那賀病院看護師大募集中!

病院見学は随時受け付けています。
詳しくはホームページをチェック!
https://nakanurse.com/

 

那賀町×看護師 違和感をフックにしたポスター作戦

那賀町立上那賀病院は1949年(昭和24年)に開設され、現在の診療科目は内科、胃腸科、外科、整形外科、皮膚科、肛門科、リハビリテーション科。平成31年3月末で退職する看護師が5名いることから、新卒、中途と問わず、看護師募集を行っていました。様々な業界で人手不足が問題となる中、看護師は特に深刻。都会の病院でも採用が難しく、ましてや山間部の町立病院という条件不利地ともなれば、1人確保するのもかなり難しい・・・。そこで上那賀病院だけでなく、那賀町役場のまち・ひと・しごと課戦略課、保健医療福祉課、一般社団法人地域おこしドローン社が看護師募集PRを行うプロジェクトチームを編成。2019年1月、大阪で開催される『文化放送ナースナビ病院就職合同説明会』出展に向けて、看護師募集を呼びかけるポスターを作成することが決まりました。作成されたポスターがコチラ。

那賀町は人形浄瑠璃の上演のために神社の境内に作られた野外劇場、農村舞台の現存数が日本一であることを、なぜか看護師さんがPRしているという1枚。あえて「看護師募集」とは書かず、「なにこれ?」という違和感で、見る人引きつける作戦です。

ポスター第二弾はゆず穫り。ポスターはバージョン違いで5枚あり、いずれも那賀町の観光や物産、主要産業、まちおこしの取り組みといった町の魅力を題材に看護師さんが体験するという構成になっています。


こちらはドローンバージョン。那賀町は徳島県版ドローン特区としてドローンによるまちおこしに力を入れていて、町が定めたドローンの日(10月6日)という記念日も。安全にドローンを飛ばすことができるよう、フライトスポットをまとめたドローンマップを作成し、空撮をしたい人や本格的な実証実験の対応も行っています。


SUPバージョン。SUP(サップ)は「Stand Up Paddle board(スタンドアップパドルボード)」の略。このSUPを那賀町特産の杉を使って作成。話題を呼んでいます。那賀町にはダム湖があり、穏やかなダム湖でSUPを楽しむことができます。


最後はチェーンソーバージョン。森林面積割合が95%を占める那賀町では新規の林業従事者確保のため、毎年林業体験イベント『リアル林業体感3DAYS』を開催。自然の中で働きたいという若者に「林業」という仕事が新鮮に感じられるそう。


この作戦もあいまって、2019年、2020年の春に看護学校を卒業する人を対象に行われた大阪での病院合同説明会では、ブースに人だかりが!たくさんの人が上那賀病院の話に真剣に耳を傾け、就職先として検討する機会につながりました。

看護師獲得に燃えるプロジェクトチームはこのポスター画像をFacebook、Twitter、InstagramなどのSNSを活用し、とにかく拡散。すると看護師×林業、看護師×ドローンといった違和感を面白がりる人が続出。

また、看護師不足を知った地域の人や病院を応援したいという人から「うちの店でもポスター貼りますよ」といった声がかかるようになりました。この反応に「予算の範囲内でポスター送付を検討させていただきますのでメッセージ等お願いします。県外の方も。ぜひっ」とのこと!ご協力いただける方、何卒よろしくお願いします!

 

上那賀病院で働く人達に聞いた病院の魅力

2018年の秋頃から本格的に募集を始め、現在2名の採用が決定!2019年2月中旬、病院を訪れると四国の右下エリアに移住してきた移住看護師さんや看護助手として採用されたばかりのTさんが、すでに即戦力として活躍していました。Tさんは20代。応募のきっかけは自身の入院だったそうで、看護師さんたちが一生懸命働く姿に心を動かされたと言います。

看護助手 Tさん
私はまだ勤めてはじめて1カ月。「大変そうだけど、人の役に立つ仕事だな」と思って、転職を決めました。介護の仕事は初めてですが、毎日いろんなことを教えてもらって楽しいです。先輩たちも優しいし、できれば長く続けられるよう、がんばっていきたいです。

医療関係とはまったく違う仕事をしていたそうですが、待望の新人に病院スタッフは大喜び。Tさんも日々やりがいを感じているとのこと。

「上那賀病院の魅力」について看護師さんや看護助手のみなさんにお話を伺うと、「働きやすいこと」という答えが多く聞かれました。患者さんは高齢者が多いので、看護だけでなく介護に近いケアが必要だったり、人数が少ないため一人何役も行ったり、“看護師”という職業自体の大変さ加え、この病院ならでは苦労があるようですが、転職した看護師さんの中には「以前勤めていた病院は3交代勤務でしたが、ここは2交代なので、だいぶ楽」という人や、「子供の行事にあわせて休みの融通がきく」など、周囲の理解があり、仕事がしやすいといいます。

看護師長さん
上那賀病院のいいところは福利厚生がしっかりしているところ。比較的休みも取りやすいので、年次休暇と併せて長期の休暇をとって海外へ行ったり、ご家族の介護や看護をする人もいます。看護師としてスキルアップしたいという人のために、資格取得のサポートも手厚い。英語など語学に興味のある人は、那賀町在住のALT(外国語指導助手)の先生に教えてもらえる無料の英会話教室(町生涯学習講座)もあります。「田舎だからできない」こともありますが、看護師としてのスキルアップしたい人にとっては、チャンスに恵まれ、応援してくれる人が多い病院だと思います。「最低でも5人は採用!」と思っていますので、新卒の人も中途採用希望の方もぜひ挑戦してみてください。


ベテラン看護師さんも人材育成に力を入れている点に触れ、「人工呼吸器の勉強や褥瘡対策など、レベルアップしようと思えば、優先的に勉強会にも行かせてもらえるし、費用も病院側で負担してもらえるので、スキルアップしたい若い看護師さんにおすすめ。山の中の病院ですが、かつては難しい手術にも対応していました。先生が要求する医療レベルが高いので、それに対応するため、しっかりした医療知識を習得しつつ、患者さんとは気さくにふれあえるところとがこの病院のいいところかな、と思います」と話してくれました。

 

現代の赤ひげ先生 鬼頭秀樹院長

そして!上那賀病院の魅力を語るときに欠かせないが、「現代の赤ひげ先生」として慕われる病院長の鬼頭秀樹先生。地域に貢献する医師を表彰する『赤ひげ大賞』も受賞され、功績を顕賞するインタビュー記事には、徹底して患者に寄り添うのが“鬼頭流”の診察スタイルが紹介されています。


日本医師会 赤ひげ大賞
http://www.akahige-taishou.jp/case/book/book3_id3.html?fbclid=IwAR0kIoK8slK3il8czgiL08xwhaS7ZvMmw_yr2Pb9tOaqDj3hdwCaZxodrxk

時間外診療の休止はやむを得ない決断ではありますが、看護師募集に関して院長にお話を伺うと、

「地域に根ざした医療を提供するため、がんばっています」というだけでは、いくら看護師募集を行っても来てもらえない。来てもらって、やりがいを感じて、生き生きと働いてもらうような環境が必要。そうでなければ絶対来てもらえない・・・最近は特にそう思っているんですよ。そういったことを行政も含め、病院で働く我々みんなでやっていこうと、話し合いを進めています。
だから新卒で、まだ技術がない人でも、「患者さんのために全力でがんばりたい」という気持ちがあれば、技術的な面はみんなでサポートするので、チャレンジしてもらいたいですね。ものすごい重症な人が救急車で立て続けに運ばれてきたりすることもあるし、ご高齢で寝たきりの方とか、ちょっと認知症があって自分で動けないような方とか、医療的に高度な処置が必要な場合、介護的なお世話が必要な場合など、いろいろ大変なんですが、積極的に取り組む気持ちがあれば、いろんなことを勉強できるし、経験できるし、それですごく患者さんも喜んでくれるので、やりがいはあると思います。私達と一緒にがんばろうという看護師さんに来てもらえたらありがたいと思っています。

「広大な那賀町全てが我々の病棟」という院長。このまま規模を縮小していくのではなく、人材の確保さえできれば、時間外診療をすぐにでも再開したいといいます。

 

家賃無料!病院から徒歩1分の好立地

上那賀病院へは阿南市、徳島市など近隣から通勤する看護師さんもいますが、通勤時間の短縮や家賃補助の両面を兼ねて、病院の敷地内に寮を整備。2019年4月から家賃無料で貸し出しを行います。

こちらは2DKのファミリータイプの部屋。病院からは徒歩1分!和室には押し入れもあり。キッチンはガス、バス、トイレは別で、ベランダは少し広めです。洗濯機が室内に置けるのも嬉しいポイント。日当たり良好です。

単身タイプは1DK。設備はファミリータイプ同様で、部屋は和室。こちらも日当たり良好です。病院前にバス停がありますが、買い物などに自家用車は必須。駐車場も近くにあります。

仕事探しに求める条件は「給料が高いところ」「家から近いところ」「休みが多く、プラベートな時間が確保できること」など、人によって違いますが、一生懸命仕事をする人がいること、尊敬できる先生がいることなど、気持ちのいい人間関係が築けるかどうかは、求人票を見ただけではわかりません。自分の将来を考える中で、「地域医療に取り組む時期があってもいい」と思う人は、まずは病院見学に来てみてください。病院見学は随時受け付けています。

 

那賀町立上那賀病院
徳島県那賀郡那賀町小浜137-1
電話番号 0884-66-0211
http://www.town.tokushima-naka.lg.jp/hospital/

古き良きまちなみが残るレトロアイランド・出羽島  小さな島が重伝建地区になった理由

牟岐港から約3.7kmの沖合にある出羽島(てばじま)。この小さな島が2017年2月、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に指定されました。江戸末期~昭和30年代くらいに建てられた家屋がいい状態で残っていて、昔懐かしい漁村の雰囲気を味わえると、「レトロアイランド」銘打ったウオーキングツアーなども行われ、出羽島への注目が高まっています。移住を希望する人の中にも“島暮らし”という特別な環境に憧れる人もいることから、重伝建地区に指定される前から調査を続けてきた徳島大学理工学部の小川宏樹先生に重伝建地区に指定された出羽島についてお話を伺いました。

DAISUKE KOBAYASHI

 

 建築のガラパゴス化!? 開発されなかったことが魅力になる

—小川先生が出羽島に関わるようになったきっかけについてお聞かせください。

小川先生 もともと文理大学の清水先生を中心に調査が行われていて、一緒に調査をされていた先生が別の大学に移られ、建築の専門家が必要ということで、徳島大学にいた私に声がかかりました。前任の先生の思いを引き継いでやって欲しいということで、そこから関わるようになったので、重伝建地区に指定される前の、平成28年度からですね。

—調査は、どんなことをされているんですか?


徳島大学理工学部 小川宏樹先生

小川先生 重伝建地区に指定された後、個々の建物について調べていくんですが、文化財としての調査は清水先生、私はその建物がいつ建ったものなのかを調べたり、実測して、図面をおこすようなことを担当しました。

—重伝建地区に指定されたのは、何かスゴいものがあったんですか?

小川先生 実はこれがスゴい!ということはなくて。通常、重伝建に指定される地区というのは、国宝級の文化財に指定されている建造物とか、最低でも市町村が指定する文化財なんですが、出羽島はまったくそういうものがないんですね。いわゆる漁村集落で、建物自体は江戸時代末期、明治、大正のものがほとんどで、一番新しいもので昭和30年代くらい。そうしたまちなみが状態良く残っていることが選ばれた理由です。大抵の町は昭和の高度経済成長期に、開発の圧力にさらされて建て替わってしまった中で、離島という特殊な条件下で、ガラパゴスのように、たまたま残った。そうして昭和30年くらいの時代のまちなみが残っているということで、重伝建地区になったわけです。

—海風にさらされて、古い建物は劣化しそうに思うんですが・・・。

小川先生 人が住まなければ老朽化は加速度的に進んでいくので、歩いていて20軒に1軒くらいは屋根が落ちていたり、傷みが激しいところもあります。ただ人が住んでいれば、普通の木造住宅は100年くらいは大丈夫。人が住んでいたら雨漏りすれば直すでしょうし、江戸末期のものでもそうした手入れを行うことで十分暮らしていける建物を維持することはできます。

—昔の家は構造的に長持ちするように作られていたということですか?

小川先生 特別な構造というわけではないんですが、建物自体平屋建てとか、「つし二階」という物置に使われる屋根裏部屋のある建て方が多く、構造自体が小ぶりです。建物自体の重さがあんまりないので、地震が来ても多少は大丈夫という点はあるかもしれませんね。島には今、200棟くらい建物があって、住んでいるのは50棟くらい。人口はだいたい60~70人くらいです。


出羽島の調査を行う徳島大学の学生たち。

 

過疎対策や集落維持で注目される重伝建制度

—以前、坂東幸輔建築事務所の坂東さんが関わって大規模な古民家再生をされていたことあったと思うんですが・・・。

小川先生 伝建地区に指定される前のパイロット事業として、町が取得した建物を修理して、交流施設「波止の家」を作った話ですね。重伝建に指定されると修理に補助金が出るようになるので、毎年数棟ずつですが、改修する予算を確保できるんです。それで「本格的に修理したらどのくらいお金がかかるか?」というのを調査も兼ねて行われたんですが、2000万円くらいになって。いったん全部バラバラにして、組み直したくらいの大修復だったので、そのくらいかったそうです。

—そうしたパイロット事業などもあって、伝建地区に指定されたわけですが、そもそも重伝建という制度とはどういうものですか?

小川先生 重伝建制度というのは1950年に始まったんですが、第一期目で指定されたのは国宝級の、国の重要文化財に指定されるもの。たしか第一号は秋田県仙北市角館町の武家屋敷で、観光地としても有名なところです。それが20年くらいして、第二期になると各地方都市の歴史的なまちなみが残っている街道などが指定され、さらに2000年以降に入ってくると今度は過疎地域で指定されるようになりました。そのため出羽島のように文化財がない地域でも指定されるようになった。

本来の重伝建の制度というのは、建物を使いながら残していくというもので、高度経済成長期にまちなみがどんなくなっていくのを保全しながら、使いましょうというもの。だから人が住んで使い続けていくという制度設計なんですね。それを過疎地域でやるって効果はあるんだろうか? 重伝建に指定したら人が帰ってくるんだろうか?というのが、私の研究の興味。

牟岐の人達が重伝地区の指定を求めたのは、「建物を残していかないと島に戻って来たくても戻って来られない」、「建物がなければ当然、島に移住したいという人も住めなくなる」、「集落自体が消滅してしまう」という危機感から。「何かしなくては!」ということで、過疎対策とか、集落の維持を目的に指定を受けているところも次第に増えてはいます。

—でも重伝建に指定されると、まちなみの保全が優先されるので、実際に住む人にとってみたら改装が難しくなるのでは?

小川先生 庭に植わっている木なども含め、現状変更するには町へ届け出が必要になります。重伝建に指定された建物を直すことを「修理」と呼んでいて、オリジナルの状態に復元することを前提に国からの補助を受けられます。「修理」を行うには伝建の調査書が必要になるんですが、元がどういう建物だったかを調べるために私達が入って調査を行っています。100年以上住んでいる建物だと、建て増しや改装されたりしているので、その家が建った初期の状態にできるだけ近づけることを条件に、上限1000万円の補助を受けられます。自己負担1割で、9割(国6割、町3割)は補助してもらえるということもあって、過疎地域が重伝建の指定を受けるようになったんです。

—補助があるのは助かりますが、トイレやお風呂が昔のままなのはちょっと・・・。

小川先生 そういうところは自己負担で改修OKです。あくまで補助が使えるのはファサード(外見)や構造部分。なので、間取りを完全に変えてしまうというのはムリですが、トイレやお風呂などは自由に改装できます。


町を歩いて調査を行う徳島大学の学生たち。

 

重伝建が町のアイデンティティになるか、どうか。

—実際に重伝建の制度を使った人はいますか?

小川先生 重伝建の指定に基づく修理事業が平成29年度、30年度にスタートして、今年は29年度に修理・修繕した3軒にヒアリングしました。第一回目に応募した人は、相続する人が決まっている人。とりあえず相続のメドがたっている人については次の代へ建物を残したいという意思があることがわかりました。

—出羽島は牟岐港から連絡船で15分くらい。比較的行き来もしやすいので、島暮らしに憧れる人にとってはある程度の改修費を払っても住みたいという人もいるのではないでしょうか?

小川先生 若い子育て世帯というよりは、早期リタイアした50代やまだまだ元気で身の回りのこともできる75歳くらい人であれば、いいかもしれませんね。去年の修理事業で家を直した人の中には別荘として使う人もいました。釣りが好きで週末ごとに通っているという人もいましたね。

—重伝建に指定されたことで、地域の人たちが何か変わったことはありますか?

小川先生 島の人たちは重伝建に指定される前から勉強会に参加して、先に指定された重伝建を見に行ったり、事前説明会をやったり、今も月に一回意見交換会を役場で開いていて、意識が高いんですが、牟岐町全体でどう変わったかは、私も調べてみたいと思っています。牟岐町の人口が今、約4000人くらい。島の人口が70人程度で、町予算の約1%にあたる2000万円くらいを使っている。町内に住んでいる人からすると「牟岐駅前にも空き店舗や空き家があるのに、どうして島ばっかり・・・」という不満もあるのではないかと思うんです。他の重伝建のように町の中心部や、昔ながらのお祭りが行われ、町のアイデンティティになっているような場所であれば、賛同が得られると思うんですが、離島部という住民であっても、みんながみんな行ったことがない場所を、牟岐町の観光資源として、町のアイデンティティのようものとして定着するだろうか。今はまだ走り出したところなので、もうちょっと活動が進展してから、調べてみたいと思っています。

—ありがとうございました。

 

★出羽島に興味を持った人はコチラ!
【 出羽島アート展プレイベント 2019 】


『出羽島アート展2020』に向けて、9日間に凝縮した「プレイベント」を実施します。

◆日程:323日(土)~31日(日) 9:0015:00
◆チケット販売:牟岐港乗り場13:30まで
◆料金:大人1,000円、小学生400円(連絡船往復乗船券込み)
◆主催:出羽島アート展実行運営委員会
◆後援:牟岐町
◆協賛:牟岐町観光協会、牟岐町商工会
◆問い合わせ:牟岐町観光協会  0884-72-0065

『Facebookページ』:https://www.facebook.com/tebajima.art/

◎オープン行事
日程:3月23日(土)14:00~
内容:出羽島フィールドLAB(シンポジウム)
「京都市立芸術大学・徳島大学コラボイベント」
内容:①出羽島での研究報告、②出羽島アート展の今後について

※小川先生の話をもっと聞きたい人はぜひ、参加してみて。

コチラもおすすめ!【レトロアイランド出羽島ウォーク 】

重要伝統的建造物群保存地区に指定された離島『出羽島』のガイドウォーク。歴史ある街並みを散策と、島のお母さん達手作りの島ご飯。ゆったりと流れる『島時間』を感じませんか?参加者募集中です。※申し込みは実施日4日前まで

◆日程:2019年 3月12日(火)
各火曜 10:10〜16:00
◆集合:牟岐駅 10:10
◆参加費:2,100円(島の食事、ガイド料、保険込)
※船代別(大人往復440円、小学生以下往復220円)
◆申し込み:牟岐町観光協会 TEL 0884-72-0065

 

DMVの世界初の実用化を計画!“あさてつ”がスゴい!

徳島県海陽町と高知県東洋町を結ぶ『阿佐海岸鉄道』。全長8.5km、停車駅は3駅、片道乗車時間は11分。風鈴列車やイルミネーション列車などの季節に応じたイベント列車を企画し、観光列車としても人気の “あさてつ”が、2020年を目標に鉄道と道路の両方を走る「DMV(デュアル・モード・ビークル)」の実用化を計画している。世界初となるこの取り組みについて、あさてつの魅力について、企画・情報発信担当の平道知代(ひらどうちよ)さんにお話を伺いました。


◎参考サイト 阿佐海岸鉄道 http://asatetu.com/

あさてつ、手作り感満載が逆にウケる!

確かあれは3~4年前のこと、徳島県南部で開催された食のイベントでした。

食べ物とは全く無縁のブース、賑やかな感じでブース前は親子、小さな子供さんは楽しげにニコニコ笑顔、ん?!電車ごっこ?(あ、徳島は電車ないから列車か)列車キットみたいなのに子供さんが乗っかってる、可愛い様子をスマホで撮影する親御さん。大人も子供も一瞬にして笑顔にさせる空間を作っていたのが阿佐海岸鉄道株式会社(通称あさてつ)のブース。

今回の取材で知ったのですが、列車キットの名は「段ボール列車」、取材対応してくださった平道さん手作りのものでした。

「スーパー(マーケット)で段ボールの空箱をもらってきて作ったんです、箱のサイズを計って。宍喰駅に置いてある、顔出しパネルも考えたんですが大きいし重くて(イベントに)持っていきにくいんで。デザインですか、Excelで作りました(アノExcelだけで超美しい風景画を描いたおじいちゃんみたいなのか!?そうなのか?内なる声)制作期間は1週間ぐらい、一つ一つ手作りなんです」ということで実物を見せてもらいました。


サイズは大中小。小さな子供さんはもちろんのこと親御さんや大きなお友達にも対応できるバリエーション全4種類。外側だけでなく内側は「あさてつ」名物のLEDイルミネーション仕様に。芸が細かいです!


前後左右フル車両ラッピングは当然のこととして、すだちくんや伊勢えび駅長デザインのヘッドマークも忠実に再現(Excelで!)。ナイロン製の肩掛け紐や補修で重ね貼りしたテープなど手作り感満載が逆にウケているそうです。


恥ずかしがる平道さんに観念してもらい、入庫していたASA‐301「たかちほ」(現在、あさてつの保有している車両は2両、もう一つのASA‐101「しおかぜ」と3日おきのローテーションで運行中)前で撮影。イベント時に活躍している運転士帽子もかぶってもらって。 

 

あさてつ、アイデアと行動力で発信し続ける!

元々、阿佐海岸鉄道株式会社が運営する線区(阿佐東線)は、国鉄時代の計画線でした。が、1980年に国鉄再建法により工事が凍結。それから8年経った1988年、第三セクター方式により会社設立。4年後の1992年開業しました。路線区間は徳島県海陽町と高知県東洋町を繋ぐ全長約8.5㎞。駅の数は海部駅、宍喰駅、甲浦駅の3つ(有人駅は宍喰駅のみ)。知る人ぞ知るスーパーローカル線は、ある問題を抱えています。開業以来ずっと続く赤字です。鉄道業界でしばしば登場する数値、営業係数。「100円の営業収入を得るための、いくら費用がかかっているか」を示す指標でいうと、阿佐海岸鉄道は100円稼ぐのに1224円必要としているのです(2013年度)。この数値は第三セクター鉄道で最も悪いものでした。

「メディアの方に『いつだったらお客さん乗ってますか?』と尋ねられたり、逆に無人の乗ってない時間がどれだけ続くか尋ねられたり。イベント時を除くと、3人乗っていたら多いほう、10人だったら『今日どしたん!?何があるん!?』という状態です。

私自身、地元海陽町なんですが、4年前に入社して初めてよく知りました。あさてつのこと、本当に知られてないのがもったいない。徳島県の人でも全く知らないんです。『阿佐東線?JRの区間なんちゃう?』みたいな印象で。こっちからどんどん言うていかな!“あさてつ”を知ってもらうために。外に向けて発信するため『どこでもいいんで出店させて下さい』と」。段ボール列車とあさてつグッズを持ってJR徳島運転所での鉄道まつりをはじめ香川や高知の鉄道イベントを含む1年に6回は町内外の催しに出張PRしています。


「ブースを出させてほしい」と各所にお願いしながらイベント出張場所を徐々に増やしてきたあさてつブース。宍喰駅以外であさてつグッズが手に入る貴重な機会です。


徳島県のマスコットキャラすだちくん、高知県東洋町のぽんかんくん、伊勢えび駅長のあさちゃん・てつちゃんのヘッドマークタイプのステッカー各100円(税込)。


人気の硬券切符セットこどもver・大人ver3枚セット、6枚セット。当初は切符だけで販売していたものを車両写真の台紙を手作業で用意したところ更に人気に。


伊勢えび駅長きっぷセットこどもver370円、大人ver720円(片道3枚入り)。

 

あさてつ、異色の有名駅長と企画列車と芸能人

“あさてつ”を多くの人に知ってもらうため外に出向いて発信しているのはその次のステップのためです。当然それは“あさてつ”に乗ってもらうためです。お花見列車、天の川列車など季節に合わせた定期便に加えて様々な臨時便も。例えば、時速30㎞のゆったり運行で地元パン屋さんの美味しいパンとドリンクで楽しむ“なごみ列車”や徳島住みます芸人さんとコラボした『すすめ!お笑い列車』、地元中学校音楽部の生徒さんによるクリスマスソング生演奏と子供さんにはお菓子の掴み取りプレゼントの「サンタ列車」など実施中。

「普段の定期便で行きたい時にちょっとでも乗ってみようかなと思ってもらえるように」と吊るし雛列車、お花見列車、こいのぼり列車、天の川列車、イルミネーション列車など次々と定期便の企画を打ち出しています。


そして、“あさてつ”には日本全国を見渡しても他に類をみない稀有な駅長さんがいます。宍喰駅の改札口前の水槽。駅長室のネームプレート。海老です。普通の海老じゃありません。伊勢海老です(ちなみに“あさてつ”では伊勢ぇびと表記しています)。

就任は2010年12月のこと。随分と長生きしてるなーと思ったら、今の駅長で三代目。ちなみに駅長はオス(てつちゃん)メス(あさちゃん)のペア2尾体制。

そもそもどうして伊勢海老が駅長かというと、海陽町の特産物だから。伊勢海老が成長際に脱皮するように、“あさてつ”も赤字から脱皮(脱出)出きますようにとの願いが込められています。

実はこの伊勢ぇび駅長さん、一昨年の2017年に一躍時の人ならぬ時のえびに! きっかけはテレビ朝日の『アメトーーク』。鉄道芸人の回で、元祖鉄道アイドルの木村裕子さんがお気に入りの鉄道として “あさてつ”をピックアップ。その時に紹介された伊勢ぇび駅長が番組MCの宮迫さんにハマり、Twitterでバズるなど話題に。と、現地に足を運べばなにかと楽しませてくれる“あさてつ”。

が、四国の片隅にある立地条件から行きたくともなかなか行けないという声も。そのような人にも対応しているのが2011年に発足した、あさてつファンクラブ。1口1000円で個人会員になると、1年間有効の会員証が発行され、記念乗車券(往復分)や限定グッズのプレゼント、年4回抽選で特産品プレゼントなどの特典が。遠いファンでは東京や新潟に在住の会員さんがいるそう。会員証を提示すれば協賛店で割引サービスがあり、宍喰駅がある海陽町の竹ケ島海中観光船ブルーマリンの乗船料1800円が会員証提示で1000円に!それも本人プラス同伴者1名まで割引対象というお得っぷり!!


海部駅近く上り牟岐・徳島方面にある山がないトンネル。昔は山があったそうですが周囲の開発に伴いトンネルだけが残ったそうです。


阿佐海岸鉄道HP(あさてつ、で検索すると出てきます)内にある伊勢ぇび駅長ブログ。度々水槽の清掃と海水の入れ替えの記事がアップされています。


厳かに就任式を行う二代目伊勢えび駅長(2015年に就任)。聞けば伊勢えびは15年前後生きられるそうですが、成長して大きくなると地元の海、水床湾に帰してあげてるそうだ。


夏休みに企画している親子を対象としたワクワク体感ツアーでは車庫前の線路をつかったレールスター体験や実際の車両を用いた洗車体験も。


華やかなイルミネーション列車に限らず地元テレビ局や新聞社で目にするあさてつの企画列車。プレスリリースをこまめに行いメディアを通じて1人でも多くの人に知ってもらうよう心掛けています。


阿佐東線の乗車、宍喰駅であさてつファンクラブに入会、またはあさてつグッズ500円以上購入すると、希望者に鉄カード(ただいま第4弾)を進呈中です。


あさてつ唯一の有人駅の宍喰駅(ちなみに徳島県最南端の駅です)。改札口横にある事務所で喜多さんと佐藤さん。こちらであさてつグッズを販売中です。


あさてつ乗車記念、鉄道発見伝、伊勢えび駅長各区間シリーズのスタンプも事務所横に設置。


ロケに訪れた芸能人サイン色紙がずらり。中でも目を引いたのが鉄道BIG4のひとり芸人ダーリンハニー吉川正洋さんの色紙。CS放送鉄道チャンネル「鉄道ひとり旅」でロケに来られた2014年12月のものです。

 

2020年を機に大変身、あさてつDMVへ

東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年、あさてつが大きく変わります。これまで走行試験や実証運行を重ねてきたDMVがついに営業運行を開始するのです。

そもそもDMVとは?

Dual Mode Vehicle(デュアルモードビークル)の頭文字をとった名称で、鉄路と道路の両方を走れる新しい乗り物です。百聞は一見に如かず、なのでまずはこちらの写真をご覧ください。


こちらがDMV。見た目はバス。JR北海道の表記があるのは元々JR北海道が開発していた車両だから(レンタル中)。実際にマイクロバスをベースに線路を走れるように改造。前方部からレール用の車輪が出る仕組みです。


2020年から営業運行開始するDMVの導入台数は3台。今年1月にはデザインと愛称が発表されました。

阿佐海岸鉄道をはじめ徳島県南部エリアひいては高知県東洋町、室戸市の高知県東部へ地域振興の起爆剤として大いに期待されるDMV。今までにない世界初の新たな乗り物ということで鉄道ファンをはじめ全国の乗り物ファンへ向けてPRしています。現在、高知県東洋町の甲浦駅ではDMV導入するための準備工事が始まっているそうです。


ここで疑問が一つ。今、現役で走ってるASA‐101しおかぜ とASA‐301たかちほ の2台の車両はどうなるんだろう?? 一緒に走るのかと思いきや、なんとDMV導入後は、制約上DMVしか走れなくなるらしい。

つまり、DMV導入は今走る2台の車両の見納めに。

「鉄道ファンの間では賛否両論あって『世界初!注目してます』『絶対乗りに行きます』という声もあれば、『こんな邪道なのは鉄道じゃない』という声も」と平道さん。

確実なのは阿佐東線の線区をASA‐101とASA‐301の2台の車両が走る期間は既にカウントダウンが始まっているということ。乗り鉄、撮り鉄、車両鉄、音鉄の各鉄道ファンの皆さん、ぜひお急ぎを。鉄道車両と比較すると、サイズ的にかなり小さめなDMV。これまで行ってきた車内デコレーションやイベント等も変化は必至。また、宍喰駅で販売中の車両デザインのキーホルダーやポストカードはどうなる?段ボール列車デザインもリニューアル?とか、気になることだらけ。伊勢えび駅長が脱皮するように、来年2020年に向けて大きく変わろうとしている“あさてつ”。今後も伊勢えび駅長ブログ記事を追いかけていきたいと思います。

2019年3月9日(土)にDMV第1号のおひろめイベントが宍喰駅イベント広場で開催されます。モードチェンジの見学も!


軽快ディーゼル気動車ASA‐101「しおかぜ」。


軽快ディーゼル気動車ASA‐301「たかちほ」。


鉄道の日記念イベントで行われている子供鉄道ギャラリー、DMV版もぜひ見てみたい!

 

移住就農するなら海部きゅうり塾へ!海部エリアで始める新しい暮らし

宮崎、群馬、高知などと並ぶ全国有数のきゅうりの産地・徳島県。四国の右下エリアは冬場の日照時間が長く、安定した収穫が見込めることから、農業用ハウスを使ったきゅうりの促成栽培が盛んに行われていました。しかし、近年の少子高齢化により、きゅうり農家はピーク時の4分の1(29戸)にまで減少。そのため美波町、牟岐町、海部町の3町とJAかいふ、徳島県などの関係機関が共同で「きゅうりタウン構想」を立ち上げ、新規就農者を育成する『海部きゅうり塾』を開講。ベテラン農家の知恵や技術を結集させ、最新技術を駆使したきゅうりの養液栽培にチャレンジしています。

農業は「キツい」「儲からない」といったマイナスイメージを払拭し、“30 a(アール)で所得1000万円”を目標に掲げ、新時代の農業で地域創生に挑む「きゅうりタウン構想」について、JAかいふと徳島県南部総合県民局(美波農業支援センター)の皆さんにお話を伺いました。

◎参考サイト

海部きゅうり塾Fecebookページ https://www.facebook.com/kaifukyuuri/

 

10年後の未来のために
きゅうりの養液栽培にチャレンジ!

海部エリアを拠点とした「きゅうりタウン構想」が動き出したのは、2015年春。高齢化の影響もあり、農業が衰退する中で、就農を希望する若者や移住希望者に活路を見出し、産地の再生を図ろうと、美波町、牟岐町、海陽町の3町とJAかいふと徳島県南部総合県民局が共同で「きゅうりタウン構想」を打ち立て、「海部次世代園芸産地創生推進協議会」を設立。

新規就農者を育てる「海部きゅうり塾」、きゅうりの養液栽培を確立するための「次世代園芸実験ハウスの整備」、「SNS等を利用した情報発信」の3本柱で、10年後の未来に向けた一大プロジェクトが始まりました。

10年後の目標は、

・産地面積 5.6ha→10 ha

・収量 20t/10a→30t/10a

・所得(30a) 690万円→1000万円以上

若手就農者を確保し、産地を活性化することを目指しています。

徳島県南部では、オンシジウムや春にんじんなどの生産も盛んに行われていましたが、冬場の日照時間が長いという海部エリアならではの特色をいかし、きゅうりの促成栽培に注目。「開講当初、きゅうりの空きハウスがたくさんあったので、それらを活用して新規就農のハードルとなっている初期投資の軽減につなげようという話もありましたが、土耕栽培よりも負担が少なく、就農者にとってより魅力的な農業を目指そうと養液栽培にシフトし、次世代園芸実験ハウスを使って研修を行っています」。

促成きゅうりは育てるのが難しく、経験と勘がものをいう作物。ある程度の収量を確保するには10年かかるといわれる新規就農者にとってハードルが高い野菜なんだとか。そのうえ他の野菜に比べて作業が多く、単調であること、ハウス内の湿度や温度が高く、土耕の場合は足元も悪い。そうした過酷な労働状況を改善し、女性も就農しやすい環境を作ろうと誕生したのが、次世代園芸実験ハウスです。このハウスは、温度管理や水やりも複合環境制御技術により自動で行われ、栽培状況のデータが取得できるようになっています。

「養液栽培は全国でも事例が少なく、私達の取り組みも始まったばかり。篤農家(ベテラン農家)さんの意見も伺いながら、JAかいふの営農指導員などと共にデータ分析を重ね、新規就農者の早期自立につながるよう、協議会のメンバーが協力して新しい農業の確立を目指し、日々努力を重ねています」。

 

経営感覚をもった農業人の育成を目指す 海部きゅうり塾

農業はとにかく体力勝負!若ければなんとかなる・・・という思い込みと勢いで、移住就農を志す人も少なからずいる中で、「海部きゅうり塾」では栽培方法だけでなく、営農計画やGAP(Good Agricultural Practiceの略。農業生産工程管理のこと)などの座学も重視。実践研修と半々でしっかり研修し、1年をかけて新時代の農業に対応できる農業人を育成します。

「農業を始めるにあたり、軽トラや消耗品の購入、当面の生活費など、初期投資は1000万円くらい必要。5~10年かけて原価償却していくとしても、500万円くらいの貯金はあった方がいいですね。塾生の中には先々の経営計画もシミュレーションして、『僕はムリです』って判断し、就農しなかった人もいます。ただただ農作業だけしていればいいというのではなく、どうすれば収量が増やせるか、生産コストの削減など経営感覚のある人が向いていると思います」とJAかいふ担当者。


「海部きゅうり塾」ではこれまで22名を受け入れ、うち16名がきゅうり農家として就農。養液栽培のレンタルハウス(17a)で営農を始めた修了生の中には1210万円(うち経費750万円、所得460万円)を売り上げた人もいて、「田舎でも1000万円稼げるというのは魅力的。自分の手腕で所得を増やすこともできるというのは夢がある。地域をあげて私たちもサポートしています」と話す。

 

消費者との交流や体験ツアーも実施
きゅうり農家の魅力発信にも注力

2017年、JAバンクのCM『農業 LOVES YOU』に取り上げられたことをきっかけに、きゅうりタウンが注目を集めるようになると、消費者にも関心をもってもらおうと、道の駅日和佐に交流拠点を整備。きゅうりの収穫体験やきゅうりスイーツ開発などを通じて、農業への関心を持ってもらうような活動も始めました。


2018年から美波町のレンタルハウスで養液栽培を行っている勝又さんは、きゅうり塾の2期生。きゅうりの収穫体験の協力をされているとのことなので、ハウスを見学させてもらうことに。

17aのハウスは広々としてキレイ!地面はシートで覆われ、土足禁止。「ちょうどこの前1500株を定植したところです」という勝又さん。約1カ月後から収穫が始まり、7月まで毎日収穫するのだとか。大変ですね…と声をかけると、「毎日収穫できるということは、毎日収入があるということ。きゅうりは傷みやすいので海外から輸入できないんですよ。だから新鮮で安全で、美味しいものを消費者も選んで買っている。品質だけでなく、栽培の段階を見てもらっても養液栽培は自信をもって安心・安全と言える商品。プライドをもって作ったものがちゃんと消費者へ届いているという実感があります」という。

きゅうりの培地もココナッツピートを使っていて、使用後は土と混ぜれば堆肥として活用もできるし、排水を貯めておく池には鯉が泳いでいるし、ハウスの周囲にもシートが敷かれ、見た目や衛生面も◎。

Uターンし、アパレルや飲食などのサービス業からきゅうり農家へ転身した勝又さん。「接客は楽しかったですが、残業も多く、セール前や年末年始などは本当に忙しくて、家族で過ごす時間もなかった。今はハウスの中で好きな曲を聴きながら作業できるし、日が暮れれば家に帰れる。勤めていた頃より身体は楽です(笑)」と話す。

勝又さんのように若い就農者が増えたことで、きゅうり農家の数の変動はないけれど、構成する世代は、かなり若返ったそう。

現在、平成31年5月開講予定の『海部きゅうり塾』第6期生を募集中です。事前に見学してみたいという人のために、農業体験ツアーの参加者も募集しているので、ぜひ参加して、就農移住を検討してみてください!

海部きゅうり塾6期生募集中!

平成31年度「海部きゅうり塾」6期生募集要項

・場所 徳島県海部郡(主に海陽町)
・内容 就農を前提としたきゅうり栽培技術を1年かけて習得。
座学(農業基礎知識)&実践実習(環境制御技術・栽培方法)
・費用 無料(生活費等は別途必要)
※就農時45歳未満の方は農業次世代人材投資資金(準備型150万円/年、最長2年)を利用可能。
※住宅費一部助成あり
・対象 塾修了後、海部地域で就農意欲のある方※JAかいふレンタルハウス(15a)を利用可能
・募集 3組程度(原則夫婦)※1人の方はご相談ください。
・申し込み、問い合わせ 海部きゅうり塾(JAかいふ 奥村)
TEL 0884-73-1263(平日9時~17時)

きゅうり塾HP:http://www.jakaifu.jp/blog2.php 外部のサイトに移動します 別ウィンドウで開きます。

徳島県かいふ&海部きゅうり塾
就農・移住体験ツアー【2日間】参加者募集中

海部きゅうり塾の取り組みを知り、現地を見学できる「就農・移住体験ツアー」が開催されます。農業で生計を考えている移住希望者の方のご参加をおまちしています。

開催日 2019年3月26日(火)~27日(水)

代金:10,000円(大人お一人様・2名様1室利用)

食事:朝食1回、昼食2回、夕食0回

募集人数:8名様(最少催行人員4名様)

申込締切:出発日の20日前

申込金   :2,000円(旅行代金に充当します)

宿泊予定ホテル :HOTEL RIVIERAししくい(同等クラスホテルに変更になる場合があります)

問い合わせ・お申し込み 株式会社 農協観光徳島支店 TEL 088-633-0003

※申し込み締め切り 2019年3月6日(水)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

那賀町の歴史に名を残す 史上最強の歌のおねえさん登場!?

代官山駅より徒歩1分のところにあるライブハウス『晴れたら空に豆まいて』のオーナーであり、歌手の越路よう子さん。取材者が越路さんを初めて見たのは2015年。拝宮農村舞台の出演者として現れた女装のアーティストにギョッとするも、その歌声と那賀町をリスペクトする謙虚な姿勢に感動し、すぐにファンになりました。そんな越路さんが、なんと!2016年8月から那賀町の地域おこし協力隊となり、現在では東京と那賀町を行き来しながら世界に向けて那賀町をPRし、その熱意と愛は、日本の中枢にいるミュージシャンのほとんどを洗脳したとか、しないとか!? 農村舞台の新たな風を吹き込み、檜瑛司さんが残した徳島に伝わる民謡のアーカイブなどを通して、この町で培われ、今も残る暮らしや風習に最上の価値を見いだす越路さん。那賀町との出会いを振り返りつつ、越路さんが見た那賀町の魅力についてお話を伺いました。

拝宮農村舞台との出会い

―――那賀町にいらっしゃる以前、徳島県や那賀町についてご存じでしたか?

越路さん 久保田麻琴さんという音楽家の方に私の1枚目のアルバムをプロデュースしてもらったことがあるんですが、久保田さんが阿波踊りを題材にした『ぞめき』というアルバムを出されていて、それが非常に印象的で。それを聞いたときから阿波踊りの本場・徳島に惹きつけられました。

―――那賀町に初めて来られたのはいつでしょうか?

越路さん 2015年の6月ですね。絵描きをしている辻蘭子(元地域おこし協力隊)に、拝宮農村舞台の出演者として呼ばれたのが、最初です。

―――拝宮農村舞台はいかがでしたか?

越路さん まぁ、とにかく驚きでしたね。あんな険しい山の中に野外ステージがあって、襖からくりなどの舞台装置もある!しかも拝宮のような農村舞台が徳島県内に無数にあると聞いて、さらに驚きました。

―――現存する人形芝居用の舞台の約97%が徳島にあって、その中でも拝宮は特に人気の農村舞台ですね。

越路さん 拝宮は野外ステージとしても最高で、音環境がむちゃくちゃいいんですよ。普通、屋外になればなるほど、モニターをいっぱいつけたりするんですが、それが全くいらないという。拝宮は舞台の後ろが借景になっていて、自然の風景と目の前のお客さんとが区切りがなく、すべてが調和が取れて、一体感を感じられるんです。その感覚は単純に舞台に立つ人間として、こんな幸せな場所はないという、そんな幸福感に包まれたみたいなものがありましたね。

―――その時の感動がきっかけで、那賀町の地域おこし協力隊になられたと。

越路さん そうですね。農村舞台も含め、那賀町の素晴らしさを世界に広めたいな、と。ただ発信するだけじゃなく、仕事として繋げてこちらで暮らしていけるよう、「何をどうすればいいか?」と考えていた時に、絶妙なタイミングで「地域おこし協力隊というのがあるよ」と教えてもらって。

―――那賀町の地域おこし協力隊は、勤務は月の半分、副業もOKなフレックス制度がありますから、比較的自由に活動できるのがいいですよね。

越路さん ホント、ありがたいシステムです。こちらに拠点を置いて檜瑛司さん(徳島県鳴門市出身。舞踊家で民俗学研究家)が残した徳島に伝わる民謡、民俗芸能のアーカイブにも取り組みたいと思っていましたし、他のミュージシャンにも那賀町の素晴らしさを体感してもらいたいと思っていたので、そういった活動を支援してもらい、実現できたのは町のおかげです。

―――越路さんを通じて、2017年に山下洋輔さんやオマール・ソーサさんという世界的な有名なアーティストも拝宮農村舞台で公演いただきましたが、その方々の反応はいかがでしたか?

越路さん それがまたすごくてですね、山下さんはそのときの感動を新潮社に書いているコラムに長々と綴り、オマール・ソーサは拝宮に降り立った瞬間から「もう鳥肌が立っている!」と。彼は瞬時に拝宮の圧倒的な美しさと場の力を鋭くキャッチして、「次回はギャラ30ドルでもいいから呼んでくれ!」って言ってました。オマールのように影響力のある人が発信してくれると何百倍、何千倍のPR効果があるので、今後も心通う人たちを那賀町へ呼び寄せたいと思っています。

―――ミュージシャンの公演以外に農村舞台の活用に他の可能性を感じていらっしゃるとお聞きしました。

越路さん そうですね。農村舞台に神社が併設されているので、農村ブライダル的なものを演出していきたいと思っています。舞台に囲炉裏もありますし、あの場所を会食場として使って、お祝いに三番叟を演じてもらったり、人形浄瑠璃を絡め、那賀町の個性を生かした結婚式が作れるんじゃないかと。他にも落語や浪曲、ライブペインティングなども含め、パフォーマンスの場としても活用できるんじゃないかと考えています。

『阿波の遊行』制作秘話

―――2018年夏、先ほどお話にも登場した檜さんが残した資料のアーカイブ事業の一環として、祭礼歌や田植え歌などをまとめた『阿波の遊行(あわのゆぎょう)』という2枚組CDを発売されました。発売までには大変なご苦労があったそうですね。


製作販売:那賀町音盤
配給:アオラ・コーポレーション http://www.ahora-tyo.com

越路さん 檜さんは1968年から約20年間にわたり、徳島を中心に四国各県にも足を伸ばし、地元の民謡の録音や撮影を行っていたんです。当時の記録方法はオープンリールだったんですが、ご自身で録音機を担いで回られて。その膨大な音源をどうにか再生しようと思ったら、オープンリールを聞ける民生機は絶滅しちゃってたんですよ!

―――え!?

越路さん あちこち問い合わせて、京都に1軒だけ民生機を貸し出しているところがあることがわかって。

―――よかった!!

越路さん オープンリールを再生するために、世界中から京都に借りに来ていると、わかったはいいんですけど、テープ自体が腐ってて。ほとんどがベコベコ。そういう状態を“ワカメ”って言うらしいんですけどね。亀裂が入ったり、カビが生えていたり・・・。まずはそれを修復してくれるところを探そうということになったんですが、それにも苦労しまして。

―――直してくれるところはあったんですか?

越路さん 津波で流されちゃったテープとかを修復する、特殊な復元技術を持つ『東京光音』というところを紹介してもらい、そこに修復を依頼して。まぁ、ここまでが第一のハードルでしたね。

―――第一ってことはまだ大変なことがあったんですね。

越路さん そうなんです。次のハードルが音源の編集作業。録音されているのは楽曲だけじゃなく、その前後にインタビューが入っていたり、物音だったり、いろいろなんです。その部分をカットして曲だけを取り出していくと、2000曲ありまして。で、それを久保田麻琴さんにお渡しして、音の調整をしてもらって・・・。

―――久保田さんに依頼されたのはなぜですか?

越路さん 久保田さんは、とてつもないプロデューサーなんですよ。エリック・クラプトンと一緒に世界ツアーを周ったり、YMOの皆さんとも仲がいいですし、音に対してちょっと神がかった感性を持っていらっしゃる方で。私もお世話になった縁で、「こりゃ、久保田さんしかないな!」っていうことで、久保田さんにお渡しして選曲してもらったんです。

―――2000曲の中から54曲を選ぶのは、至難の技ですね。

越路さん そうなんです。2000曲、どれも素晴らしかったんですよ!歌っているのは、みんな村の人なんですが、歌手でもないのにとんでもない歌唱力と演奏力!! 昔の徳島にこれほどまでに豊かな文化があったとは!さすが“浄瑠璃の国!!”と、驚きましたね。

―――那賀町の曲もあったんですか?

越路さん CDにも入っているんですが、木頭のトッチンチンや、拝宮の歌もありました。音源は檜さんご自身が徳島の方でらっしゃるので、一部香川や愛媛もあるんですが、徳島がとにかく多かったですね。

 

那賀町で過ごすかけがえのない時間

―――もうすっかり那賀町に馴染んでいますよね。

越路さん 時間はかかったんですよ。急に女装の男が現れたら、疑われますから、普通。

―――あまり違和感を感じなくなっていますけど・・・。

越路さん 皆さんのおかげです。農村舞台って一言で言っても、それぞれに氏子さんがいらっしゃって、各地域のやり方で今までずっと守ってこられたわけですから。

―――本番のステージだけでなく準備や片付けなど、かなりお手伝いされたとか。

越路さん 農村舞台を守り、暮らしている人を大切にしなきゃという、いきなり何かをやっても、決して成功に結びつかないし、簡単にバンバンやってはいけないということは、大分早い段階で教えてもらいましたね。地元の皆さんのペースにあわせて、できる限り一緒に作業させてもらうと・・・。私ね、最初におじいちゃん達と打ち上げをした帰り道、涙が止まらなかったんですよ。東京から何人か連れてったスタッフも泣いちゃって。

―――何かあったんですか?

越路さん いろいろ話を聞かせてもらったこととか・・・何て言うか、那賀町の人達があまりにも優しくて。町の人の心に触れたっていう感覚が、那賀町に拠点を置こうという最強の決め手になりましたね。

―――田舎では何をするにも時間がかかるので、もどかしい面もあったのでは?

越路さん 東京のスピードが異常ですから。回転が速いので、準備も含め、人との関わりの基本である感謝の気持ちを伝えるとか、挨拶をするとか、そういったことがないがしろになりがち。それがあたかも人間として進化してるような空気があって、実は一番大事なところがどんどん、どんどん失われていってる。私はそれが怖くて、その勘を取り戻すためにも那賀町の方達と触れ合うと、原点に戻れる。地に足のついたふれあいのある、この町で交わされる笑顔とか、他愛のない話が、ホント、気持ちが良くて。誰かを貶めるとか、自分を蔑んで取る笑いじゃなくて、フツーに面白い話ができるって、強烈に楽しい。そういうことを日々教えてもらっているって思います。

―――なるほど。それでゴスペルの指導など、地域の人たちと積極的に関わっていらっしゃるんですね。

越路さん 指導と言うより、私は女子会って思っているんですけど、どうしても婦人会だけはいれてくれませんね(笑)。

 

世界へ広がる那賀町の魅力

―――今は東京と那賀町の二拠点居住されていますが、那賀町はどういう位置づけですか?

越路さん 私の人生にとって、ものすごく大事な場所になりました。代官山で『晴れたら空に豆まいて』というライブハウスをやっているんですが、私自身は横浜人なんですよ。東京が嫌いで。東京都民になりたくなくて、生まれてから今まで、横浜以外に住民票を移したことがないんです。


◎晴れたら空に豆まいて http://haremame.com/

―――横浜への愛着が強いんですね。

越路さん まぁ、言うなれば横浜のファン。だから絶対、「住所は横浜」とこだわっていたんですけど、生まれて初めて住民票を移したのが那賀町。それ以来、東京にいる時も那賀町の話しかしていません(笑) 私のまわりのミュージシャン仲間は大体、那賀町を知ってますよ!福山雅治さんのツアーでバンマスをされている井上鑑さんや俳優の三上博史さん、この前、佐野元春さんもちょっと洗脳しましたし、会う人、会う人に「那賀町、知らないの?」って刷り込んでます。

―――頼もしいです!

越路さん 東京でPRするというより、世界に広めたいと思っていて、オマールの演奏もポルトガル語や広東語のテロップをつけてフリーサイトにガンガンUPしていて、那賀町での公演もそんな風にして海外に発信していって欲しいと思います。

―――越路さんが今思う、那賀町の魅力とは何でしょうか?

越路さん 滝だったり、吊り橋だったり、見所も結構、あるんですよ。川の透明度や自然が多いっていうのも魅力ですし、ダムも人気。そうした中でも個人的にスゴいと思うのは、食品や食材。漢方に使えそうな薬草やハーブが身近にたくさんあること。それらがほぼオーガニック!それに物々交換がスゴい。貨幣経済を変えるんじゃないかっていうぐらい、生産者同士が直に取引して、お金云々という価値とは別の、暮らしの指針がある。そういう人のつながりが生む那賀町ならではの豊かさが、一番の魅力なんじゃないかと思います。

 

那賀町移住相談会のお知らせ

県と県内市町村がコラボして毎月1回、大阪で移住相談会を開催しています。
場所はふるさと暮らし情報センターです。次回開催は2019年3月9日(土)、那賀町が担当します。
徳島に行かずとも、地域の情報が詳しく聞けるまたとないチャンス!
興味のある方はぜひお越しください。

開催日:2019年3月9日(土)10:00~18:00
場所:大阪ふるさと暮らし情報センター(大阪市中央区本町橋2-31 シティプラザ大阪内1階)
お問合せ・お申込み 徳島県大阪本部:06-6251-3273

http://www.furusatokaiki.net/about/location_osaka/ 外部のサイトに移動します 別ウィンドウで開きます。

好きなまちで仕事をつくるin四国の右下レポート



2019年2月9(土)、徳島県南部総合県民局301会議室にて、『好きなまちで仕事をつくるin四国の右下~ 第4回 ミニプロジェクトの実践講座~』が行われました。この講座は地域資源を活用し、新しく事業を立ち上げたいと考えている人を対象としたローカルベンチャースクール。大学生を含む17組が参加し、新規事業や新プランを練っています。第4回目は3分間で事業プレゼンを行い、3月2日(日)に迫った『事業プランの体験型交流会』に向け、一般の人に向けた事業PRについて、アドバイザーの方達の意見も参考にしながら、最終調整を行いました。

アドバイザーとして相談に応じるのは『合同会社杉の子』の桑高仁志さん。那賀町の地域おこし協力隊を卒業後起業し、那賀町木沢でゲストハウス『杉の子』を経営。「日本最後の秘境」、「阿波のチベット」といわれる山深いゲストハウスに外国人が続々訪れ、昔懐かしい雰囲気とホスピタリティで、『Airbnb』ではスーパーホストに!

もう一名、徳島県西部から三好市地域おこし協力隊の井上琢斗さんもアドバイザーとして参加。体験および教育旅行を行う観光業『AWA-RE』の共同創業者で、地域の企業や団体の課題解決や新しい挑戦をピックアップし、若者がチャレンジできる場をコーディネートするインターンシップコーディネート業に従事をされています。

現在予定されている事業プランは「藍染めの染料キットの販売事業」や、古民家で抹茶や和菓子がいただける「和風カフェ事業」、牟岐の農業を支えるため、特産のもち麦のうどんを提供しながら地域の魅力を食を通じてPRする「まちの活性化事業」など。この講座から生まれた17の事業を食べて、飲んで、体験できる『事業プランの体験型交流会』は誰でも参加OK!四国の右下で生まれる新事業、一番最初に見てみませんか?

事業プランの体験型交流会~四国の右下DEMO DAY~
3/2(土)13:00~18:00
場所 徳島県南部総合県民局大会議室
参加費 無料
定員 50名(先着順)
申し込み方法 「好きなまちで仕事をつくるin四国の右下」の申し込みフォームにて受付

http://www.etic.or.jp/shikokunomigishita.jp/

※会終了後、軽食交流会あり。参加費は1500円。

お問い合わせ
NPO法人ETIC.(エティック)担当:渡辺・山口
〒150-0041 東京都渋谷区神南1-5-7 APPLE OHMIビル4階
TEL:03-5784-2115 / FAX:03-5784-2116
Mail:challenge-community@etic.or.jp

 

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有名起業家が続々登壇!
第4回は『株式会社瀬戸内ジャムズガーデン』の松嶋さん

この講座の魅力は、地域の可能性とアイデアで事業を立ち上げた、地域おこしやまちづくりの分野でその名を知られる有名起業家による講座も聞けること!過去の回ではローカルベンチャーの仕掛け人『エーゼロ株式会社』の牧大介さんやベンチャー企業の成長支援実績多数の『株式会社エリオス』杉浦元さんが来県し、講演後は参加者に直接アドバイスも。

第4回のゲスト講師は『株式会社瀬戸内ジャムズガーデン』代表取締役 松嶋 匡史(まつしま ただし)さん。「日本一高齢化率の高い山口県周防大島町」、「作っても売れない商品群に属するジャム」などの数々のマイナス面を、柔軟なアイデアと地域の人たちとのつながりで、次々とプラスに変えていった軌跡を辿りながら、「地域で仕事をつくること」についてお話いただきました。起業する人もそうでない人にも役立つ、その講演を編集して紹介いたします。

※松嶋さんが暮らす山口県周防大島町は昨年10月22日、周防大島と本州を結ぶ大島大橋に大型貨物船が衝突し、橋が損傷。物流や観光、ライフラインなど島での暮らしすべての面で打撃を受けました。1カ月後断水も復旧しましたが、周防大島の産業はいまだに大変な状況です。興味を持たれた方は下のサイトをご覧いただき、ぜひ応援ください。

がんばろう!!周防大島

https://peraichi.com/landing_pages/view/161p3

瀬戸内ジャムズガーデン

http://jams-garden.com/

 


 

地域で仕事をつくること

 

高齢化率日本一の島山口県周防大島

山口県の周防大島(すおうおおしま)から来ました『瀬戸内ジャムズガーデン』の松嶋と申します。私自身、2007年に周防大島に移住した移住組で、この事業を始めたのもその頃です。

周防大島は最近、ニュースで取り上げられることが多くて、例えば2歳の子供が行方不明になってスーパーボランティアが見つけたという事件や、大阪府警富田林署に拘留中だった青年が逃走し、1ヵ月近く潜伏していたのも周防大島。一番最近だと、周防大島と本州を結ぶ唯一の橋で、大島大橋というのがあるんですが、その橋にドイツの大型貨物船が衝突し、車の往来もライフラインも全部止まったニュースはご存じですか? 1ヵ月半くらい断水が続きまして、復旧しなければここにも来られないところでしたが、今はだいぶ元に戻りつつあります。

主産業は温州みかんを中心とする柑橘栽培。山口県の約8割の柑橘を栽培しています。そのため当然、柑橘農家が多いのですが、実は周防大島は「高齢化率日本一」だった島で。みかん産業が儲からないから農家さんたちは自分の息子さんたちに「もう帰ってこなくていいよ」と言って、都会の大学、都会の会社へやって家業を継がせなかった。そのため若者の層がズドーンといなくて、島出身の人が定年退職で戻ってきて、年金生活をしながら、みかんを作っているレベルの産業になってしまっていました。

そんな島で『瀬戸内ジャムズガーデン』というジャムを作る会社をやっていまして、年間15万本くらいのジャムを作って販売しています。家族構成は妻と2人の子供。妻の実家が浄土真宗本願寺派のお寺で、妻が住職なので、妻の両親と三世代でお寺に住んでいます。

もともと僕は京都生まれ、京都育ち。電力会社に11年勤めて、2年間はベンチャー企業の社長の鞄持ちをしていました。2007年に島に移住して、耕作放棄地などを借りて農業部を立ち上げてから、「島に若者が誰もいないじゃないか!」ということに気づきました。移住する前、誰も「高齢化率日本一」ということを教えてくれなかったので、移住してから「一緒に仕事をするような若い人が誰もいない・・・」ということに気づき、じゃあ、「島に人を呼び込もう」と町の定住促進協議会と民間で移住者を応援する会「島くらす」を立ち上げました。

だけど農家さんたちが子供に家業を継がせないように、移住して農業をやりたいって人を連れてきても、収入が少なく食べていけない。そこで収益率を高めるために、観光客に来てもらって、その人達に直接販売するような、利益率のいい農業や産業のカタチを作ろうと思い立ちました。そうすると観光にも関わらないといけないので、観光協会にも入れていただき今では観光協会の副会長もやっています。

とはいえ起業する人を増やすとはいっても、僕のような移住者を呼んでくるというのは、実は非常にハードルが高い。なぜなら地域の人間関係がわかっていなくて、いきなり起業すると地域内では「アイツはなんだ!」ということになりかねない。それならもっと地元の人に起業してもらえるようにしたほうがよいわけです。うちの島はどんどん高齢化しているので廃業が増えていて、地域の中で起業してくれる人材を生まないと地域の元気がなくなっていく。特に子供達の頃から起業が当たり前と思えるような社会を作りたいと思い、最近では山口県のキャリア教育推進会にも委員として参加させていただき起業家教育活動もやっています。

 

なぜ、ジャム屋になったのか?

「なぜ、ジャム屋なのか?」という話に戻りますが、実は新婚旅行でパリに行ったことがきっかけです。妻に「アクセサリーを買いたいから、隣の店にでも入って待ってて」と言われ、入ったのがジャム屋で。壁一面にジャムが並んでいたのですが、ラベルに書いてあることが、全部違うのです。それがオモシロいな~と思って、お土産に変わったものを買って帰ろうと思っていたので、いくつか買って帰りまして。ナニか分からない物を友達に配るのは良くないので、ちょっと開けてみよう・・・と思ったらどんどん興味をひかれてしまって、結局あげる予定だった分をパカパカと開けてしまって、仕方ないので、友達にはお取り寄せのチョコレートを配りましたが、そのときが2001年です。

最近でこそいろんなジャムがありますが、当時はまだブルーベリージャムとかイチゴジャムしかなくて、マーマレードも何の柑橘かは書いていない。そんな均一なものしかなかったので、パリのようにいろんな味があるのが、オモシロい!と思いました。ベンチャー企業に行っていたこともあり、「事業を興すのはめちゃめちゃオモシロい」と思っていたことと、妻が三姉妹の長女で、妻のおじいちゃんが亡くなって、お父さんだけでお寺を切り盛りするのは大変だな・・・というタイミングが重なって、会社を辞めて「周防大島でジャムを始めよう」と思ったのが、ジャム屋になった経緯です。

ちなみに移住したのは2007年。2007年というのはiPhoneが発売になった年ですが、今でこそ携帯で物を買うのが当たり前だったり、SNSで投稿するのが当たり前と思うのですが、これより前は当たり前じゃなかったですから、時代が大きく変わったのがこの頃。

僕が移住した時、島の人口は2万2000人だったのですが、10年後は1万6000人に。「これだけ人口減の激しいところでよくビジネスしているな」と言われるのですが、単純に今の時代だからできることがいろいろあります。最近は海外からの取材や視察も多くて、地方で事業を興すということがいろいろな波及効果を生んでいて、オモシロいと思います。そのひとつのきっかけとなったのが『里山資本主義』という本。「東大生が一番読んでいる本」なので、ぜひ皆さんも読んでみてください。


里山資本主義日本経済は「安心の原理」で動く
著者 藻谷浩介、NHK広島取材班KADOKAWA843円

 

地域で仕事を作るための4つのこだわり

僕が地域で仕事を作るために一番こだわっているのがこの4つです。

① 異なる目線を入れる(多様な常識をもつ)

② モノ・人・事の長所をみる

③ チームを創る(巻き込み力)

④ 小さなチャレンジを沢山!

実際やっているのは6次産業的なことで、農業、加工業、販売などのサービス業。その中でうちのジャム屋に年がら年中、果物が入ってくる仕組みを作っています。だいたい、みかんの産地だと、「うちもみかん農家になって、みかんを搾ってジュースを売ろう!」という発想になると思うのですが、そうではなくて、地元にみかん農家があるなら、違う品種を作った方がいいよね、と考えています。コンペティター(競合相手)を増やすより、一緒に仲間になっていく方が協力しやすいので、みかん農家さんと仲良くしようと取り組んでいます。

皆さん、加工用みかん(ジュース用)って、いくらくらいで取引されていると思いますか?普通の、生食用はうちの島だと1kgで250~300円くらい。それに比べ、ちょっと大きい・小さい、色づきがよくないなど中身は同じでも、見た目の問題で加工用になるみかんはキロ7円か8円。ジュースにするには加工場へ持って行かないといけませんから、そんな金額ではガソリン代にもならない。それでは息子さんに家業を継がせようとは思うはずもないので、うちでは加工用みかんでもキロ100円で必ず買い取りましょうとか、さらにジャム専用に作ってくれるなら生食用より高い金額で買い取りましょうという取り組みをして、農家さんにとっていい循環をつくっていくようにしています。

みかんを作らないなら、会社の農業部では何をやっているかというと、地域の農家さんたちが作らないけど、ジャム屋として欲しい果物を自分たちで作っています。実家がお寺で何が良かったかというと、妻が法事で門徒さんのところへ行くと、柑橘農家さんが多いので、どの時期にどの柑橘が採れるか全部ヒアリングしてこれるのですよ(笑)。それをもとにジャムの原料探しをやって、今は年間180種類くらいのジャムを作っています。一方、夏のシーズンには島に果物がなかったので、じゃあ、ブルーベリーを自家農園で栽培しようといった具合に地元の農家さんと競合しない栽培品目を選定して営農しているのが当社の農業部です。

工房を構えたからには「夏は果物がないので、みなさん休み!」ってわけにはいかないので、工房の稼働を続けるには仕事を作らないといけない。そのため、年がら年中なにかしらの果物が入ってくるような仕組みを作るために、島でイチゴが手に入らないならイチゴを作るというように試行錯誤しながらやってきました。

そうやって、地元の農家さんにもメリットのあるような仕組みを作ると、「うちのところで作ったキウイが、あの店でジャムになっている」と、お盆シーズン、親類縁者が帰ってきたときに店に連れて来て、「これだ、これだ」と言って、みんなに買わせるわけですよ。こういうご縁も仕組みも地域ならではだと思います。

実はジャムというのは作っても「そんなに売れない」という定説のある商品なのですが、そういうものでも売り方や、どういう商品を作るかによって、売ろうと思ったら売れるわけです。15万本作っているジャムの6割はあの島で売っています。もちろん広島や東京などでも売ってもらっているのですが、なぜ売れているかというと、大手メーカーさんがやっていないジャムづくりをしているからです。

例えばはっさくでは、北斜面のはっさくと南斜面のはっさくでは甘みが違う。北斜面の八朔はジャムにしても酸味が抜けない。抜けないなら酸味を活かして、レモンティーをイメージし、紅茶で煮たジャムにしようとか。寒い日が続くとはっさくに苦みが出るので、苦みを活かしてチョコレートであえてジャムにしようとか。均一な味を目指した加工品とは違って、その年、その年のヴィンテージ商品のようなカタチで作っているところが大きな違い。生産量は15万本で、180種類ありますから、単純計算で1種類800本あるかないか。それぞれが「今、買わないと同じ味はないですよ」と限定商品的なイメージで販売するのが、地域商品の販売戦略として有効などだと思います。

 

地域の連携があってこそ成功する人を呼び込む作戦の数々

観光にしても移住にしても、「まずは人を呼び込もう」ということで始まったのが「定住促進協議会」と『島くらす』の活動です。行政と民間が両輪となって周防大島へのUIターンをサポートすることで、居・職・住の情報提供や地域社会との交流など、様々なバックアップを行ってきました。ただ単に移住者を呼び込めばいいというわけではなくて、来た人を含めて地域に「なりわいをつくっていく」という目的のため、島の人も参加する浜辺清掃をやっています。

浜辺清掃は地域の人と移住者、移住しようかなと思っている人を含めて、一緒に活動する「交流の場」なのです。移住希望者が訪ねてきて、机に向かって「何がしたいんですか?」と聞いても本音は出てこない。それよりも一緒に作業する中で「あとでビールでも飲みますか」なんて話をしながら、「この人なら入ってきてもいいな」とか「あそこに空き家があるから紹介してあげようか?」と、お互いの本音を聞ける方が有意義ですよね。

こうした経験も踏まえて、島では今でも定住促進協議会が主体となって移住ツアーをやっているのですが、全国でも珍しく、毎回満員御礼の人気ツアーで、これまでに19回やって、参加者の3分の2が移住して、島で何かしらのなりわいを作っているという、非常にヒット率の高いツアーとなっています。

浜辺清掃によっていろんな人とのつながりをつくっていく中で、新しい産業の芽を見つけることができます。例えば、さきほど「ブルーベリーは自社で栽培している」という話をしましたが、ブルーベリーは熟れるタイミングが一粒ずつ違います。農薬を使わなくてもできるので、栽培はとても簡単。素人でも植える時の土質と水やり、日当たり、肥料もちょっとやれば、間違いなくできる。ただ、真夏に熟れた実を一粒ずつ収穫するのは大変な作業で、実質、朝の涼しい時間帯の2~3時間しか作業ができない。つまり、一社でブルーベリー畑を拡大したとしても、生産量(収穫できる量)は限られるということです。

それでうちがやり始めたのは、定年退職で戻ってきた人や畑を持っている人に、ブルーベリーの苗木をタダで配って、「収穫してうちに持ってきてくれたら買い取りますよ」という作戦。その契約を結ぶ『ブルーベリー研究会』というのを立上げて、実際に植え方の勉強とかもするのですが、たまに集まって飲むということの方が多いですね(笑)。できる範囲で育ててもらえたらいいんですが、人間、欲が出て、育て過ぎちゃうんですね。それで今度はそのブルーベリーを収穫するために、障害者支援施設の人にも手伝ってもらうことになり、今では彼らの収入にもなり、働く喜びを感じられる仕事となっています。なりわいがなりわいを生み、僕が移住したとき、島内産ブルーベリーは0でしたが、昨年は2トンになりました。

それから、観光についてですが、周防大島のお隣は宮島で、ガンガンに観光客が来ているのですが、うちの島は特に観光要素がなかった。そこで島の飲食店が集まって観光協会主導で「名物料理を作ろう」ということで作ったのが「みかん鍋」です。

「何これ?」って感じですが、生のみかんが入っているので柑橘の香りを楽しみながらいただける海鮮鍋で、もちろん美味しいです。最近のフルーツ鍋ブームやこのインパクトがメディアを刺激して、冬になると、このみかん鍋がよくメディアを騒がしています。それで取材に入ったクルーは「みかん鍋以外にも島に何かないか?」ということで、他の店も取り上げてもらえる。要はうちの島を知ってもらうフックツールとしてみかん鍋はとても機能しています。


周防大島ドットコム http://www.suouoshima.com/syokuji/tachiuo.html

あとは海産物。うちの島のまわりでは太刀魚はよく獲れるのですが、足がはやいので、島に来て食べてもらえるよう、観光協会で商品化しました。「ふぐ」のように丸い大皿に盛り付け、太刀魚の外皮がキラキラ輝いているので料理名は「鏡盛り」と名付けました。しかし、知名度がない。そこで山口県といえば下関のふぐは有名なので「ふぐと同等レベルのものですよ」と県知事に宣伝してもらおうと、『西(下関)のてっぽう(ふぐ)、東(周防島)の刀(太刀魚)』というキャッチコピーをつけて知名度アップを狙いました。

周防大島は日本の中でハワイへの移民を一番多く出した町でもあります。それでハワイのカウアイ島と姉妹島にもなっていて、小学校や中学校では体育祭の時にフラダンスの演目があったりとか、郵便局の職員などが夏休み期間中になるとアロハシャツを来ていたりとかしていました。しかし、地域にお金を落とす仕組み(産業)にはなっていなかった。この10年間、これも観光協会主導で「瀬戸内のハワイ」と打ち出し、地域全体のビジネスにしていこうと、フラダンスを使ったまちおこしに取り組んできました。


山口県の観光・旅行情報「おいでませ山口へ」
http://www.oidemase.or.jp/tourism-information/spots/16329

具体的に島では何をやっているかというと、夏休み期間の毎週土曜にサタデーフラ、通称「サタフラ」というイベントを開催しています。島には生の芝生に椰子の木がはえているというロケーションがあって、そういうところで「踊ってみませんか?」と全国のフラダンス教室に招待状を送っているのです。招待状といっても交通費も宿泊費も出ません(笑)。多くの一般的なフラダンス教室って、ビルの中で鏡の前で衣装を着けて踊っていると思います。しかし、「誰かに見せたいわね」とか、「芝生の上で、大空の下で踊ってみたわ」とか思うのがダンスをしている人の心情だと思います。でもハワイに行くにはお金がかかる・・・それなら、岩国空港から1時間くらいだし、招待状も来てるし、行ってみようか!という心理に訴えかけて、去年の夏のシーズンには120ものチームが来てくれています。1チームだいたい10人以上が宿をとってくれるし、それを観る観客も含めて食事やお土産、宿泊など島に経済的循環を起こしてくれる。

★サタフラ 2019年は7月20日~8月31日の毎週土曜開催予定。
デイステージ13:00~16:00、ナイトステージ18:00~21:00。
問合せ (一社)周防大島観光協会TEL: 0820-72-2134

このようにいろんな取り組みで交流人口が増えています。話を聞いていただいた方の中には「そんなみんなで面倒なことしなくても、東京の百貨店に自分の会社の商品だけ置いてもらえばいいじゃない」と思う人もいるかもしれませんが、例えば1000円のジャムだと、流通でだいたい3~4割の手数料がとられるのですね。となると600円くらいの中から利益を出さないといけない。それよりも地元に来て買ってもらえれば、そのまま利益になる。そう考えると地域の他の事業者さんたちと協力して、地域に人を呼び込む方に力を注ぐ方が地域経済にとってもメリットが大きい。

こうした取り組みで、10年前までは交流人口が80万人くらいだったのが、106万人になって、25%増えました。いろんな事業者がいろんなことをやって、全員で集客しているというのがうちの島の一番の強みです。一人一人のチャレンジ自体は小さくてもみなさんの事業を連携させることでさらに面白いことができる。それこそが未来を支える地域力につながっていくんじゃないかと思います。

暮らしやすさ抜群!! 阿南市で住んでみんで?

「田舎で子育てしたい」という移住希望のファミリーにおすすめの阿南市。子供の医療費は18歳まで無料、第二子以降は保育園・幼稚園の授業料、給食費が無料、保育施設、放課後児童クラブも充実し、待機児童もゼロ!2019年春開催の第91回選抜高校野球大会の「21世紀枠」として出場が決まった富岡西高校をはじめ、富岡東高校、阿南高専など高校もあり、文武両道の教育面も◎。大型のショッピングセンターだけでなく、昔ながらの喫茶店や気さくなおばちゃんが切り盛りする居酒屋など個人商店も多く、それほど田舎へ行かなくてもぬくもりを感じる人付き合いができるのも魅力です。移住の窓口となる阿南市定住促進課で、移住コーディネーターとして活躍する高岡亜由美さんに、街の魅力と阿南市の移住の取り組みについてお話を伺いました。

阿南市への移住情報はコチラ
阿南市移住交流支援センター
https://www.anan-iju.com/

 

特色のある地域で構成された暮らしやすい街・阿南

——高岡さんは徳島出身ですが、移住コーディネーターになる前は阿南市についてはどう思っていましたか?

高岡さん あまり意識していなかったんですが、住んでみて、住みやすい街だと思います。素直にいいな~と。人の感じや空気感は南部がいいですよね。おおらかで、明るくて。阿南は都会ではないですが、ほどよく便利でだけどゴチャゴチャしていないところもいいと思います。

——阿南市は子育て支援も充実しているし、月イチで家具などの粗大ゴミも無料で回収してくれる。住民サービスが充実していますよね。

高岡さん そうですね。そういうちょっとしたことの積み重ねが、暮らしやすさにつながっていると思います。

——移住コーディネーターという立場から見た阿南のPRポイントはどういうところでしょうか?

高岡さん 移住希望の方に要望にマルチに対応できるところは、徳島県の中においても突出しているんじゃないかと思います。地域のコミュニティにどっぷり浸かった、つながりの濃い田舎暮らしもできれば、都会風の便利な暮らしもできる。徳島県内、それぞれ魅力的な地域はありますが、阿南だけでも富岡、中野島、宝田、長生、見能林、大野、加茂谷、桑野、橘、新野、福井、伊島、椿、羽ノ浦、那賀川と地区ごとに個性が違うので、どんなご希望にも比較的応えやすいところかなと思います。

——確かに椿地区は漁師町だし、加茂谷、新野のあたりは農村、伊島もあるので最近人気の島暮らしもできますね。

高岡さん 「阿南市」と広域で見がちですが、地域、地域にそれぞれの特徴があるし、移住者のお世話をしてくださる団体さんもいらっしゃるので、そういうところと上手くマッチングできればと思っています。

——それに加えて、日亜化学工業株式会社や王子製紙、四国電力などの大企業があり、「仕事がある」というのが強いですよね。


高岡さん そういう大きな企業があることで、転勤で阿南に来られる方は多いです。転勤で来て、そのまま阿南に定住した人も結構多くて。地元の人と話をしていて、「30年以上阿南に住んでるいけど、実は県外出身」という話はよく聞きます。地方移住が話題になるずっと前から、そんな風に移り住む人が多いのは、「住んでみたら住みやすい街だった」ということなんだな、って感じますね。

——都会と同じようにはいきませんが、汽車やバスなど公共交通機関もある程度充実していますし、高速バスもあるのでそういう面でも恵まれていますよね。

高岡さん 仕事で来られる方も多いので、そういう方達は公共交通機関を使われますが、徳島は車社会なのでだいたい移動は車ですね。一家に一台といわず、一人一台がフツーなので、阿南市に住んで徳島市や近隣の町へ通勤している人も多いですし、阿南市に通勤して来られる人も多いです。

 

地域おこし協力隊の活躍

——若者を地域に呼び込む代名詞となっているのが地域おこし協力隊ですが、阿南市にも地域おこし協力隊が活躍していますよね?

高岡さん 新野、椿、加茂谷、富岡、桑野の5地域でそれぞれ活動しています。協力隊や30~40代の移住者など、若い人が入って何か活動を始めたり、お店をやったりすることで地元の人も活気づきますよね。

——富岡地区の松尾さんが撮影した作品が賞をとったと聞きました。

高岡さん そうです。富岡地区で活動中の地域おこし協力隊の松尾佳典さんが制作した阿南のPR動画『DANCE IN ANAN~燕~』が総務省四国総合通信局主催の「四国コンテンツ映像フェスタ2018」で優秀賞を受賞しました!

——松尾さんはもともと映像の仕事を?

高岡さん テレビ番組の制作会社でリサーチャーの仕事をしていたと聞いています。自分で撮影したり、編集したりはしてなかったみたいですけど、こちらに来てから自分で撮影もするようになって。

——スゴいですね。

高岡さん 他の作品も見たんですが、プロの作品はやっぱりキレイで、スゴいんですよ。感動するというか、圧倒されるような雰囲気もあるし、使っている機材も高そうだし(笑)。そうした中でも松尾くんの作品は温かみがあって、心がこもっていて。地元の高校生が出ていてあたたかい感じがするのが、いいなと。松尾くんはもともと京都出身で、阿南になんのゆかりもないんですけど、阿南の風景や高校生とコラボした映像を作ってくれて、そうやって地元のいいものに目を向けて、その結果が受賞に結びついたのは嬉しですね。

——富岡地区の方達がバックアップされたんですか?

高岡さん 富岡地区での活動を通じて、いろんな人のつながりがあり、そこから生まれてきたものと思います。

——2019年春からの地域おこし協力隊も現在募集中ですが、阿南市で協力隊になるためには何か決まりがありますか?

高岡さん 3大都市圏内の都市地域、政令指定都市からの移住であればだいたい大丈夫です。細かいことは直接相談してもらえれば、お答えします。平成31年2月17日(日)にはふるさと回帰支援センターセミナールームで『地域おこし協力隊プチ体験&移住相談会』も行います。

——地域おこし協力隊はどんなことをするんですか?

高岡さん 受け入れ地域によって観光振興などミッションがあるんですが、基本は受け入れ団体さんと相談してもらいながらある程度、自由に活動しています。月イチで合同の活動報告があるくらい。あ!他の地域と違うのは制服があるんですよ。

——制服?

高岡さん ジャージなんですけど・・・(笑)。ずっと着ていなくてもいいんですけど、イベントなどで着てもらって地域おこし協力隊をPRしてもらっています。

 

「阿南て、いいな」と思ってもらえるように

——2018年度は『ふるさと回帰フェア』や『JOIN』などの大型の合同フェアの他に、阿南市単独の移住相談会もされていましたが、今後の予定は決まっていますか?

高岡さん まだ具体的には決まっていないんですが、東京日比谷に阿南市の東京事務所があるので、そこと連携して今後も移住相談会をやれたらいいなと思っています。東京事務所があるおかげで、阿南市は東京との接点が結構あるんです。阿南光のまちづくり協議会が中心になって、毎年冬に東京ドームに併設されたアミューズメント施設『LaQua(ラクーア)』で阿南のLEDを使ったイルミネーションをしていて、その関係で毎年1月に「阿南の日」というイベントがあり、物産展や阿波踊りをやっています。私はまだ行ったことがないんですが、東京にいながら阿南を感じてもらえる情報を発信したり、移住相談などもできればいいなと思っています。

——こうしたフェアに参加する以外、いつもはどんな仕事をされているんですか?

高岡さん デスクワークが中心ですね。阿南市移住交流支援センターのホームページやFacebookの更新や細々した事務作業などをやりながら、移住希望の方が来られたら空き家を案内したり、地域の方をご紹介したりしています。

——阿南市も空き家バンクをされているんですね。

高岡さん 空き家バンクとして公開していないんですが、定住促進課の方でいくつかストックしている物件はあります。ただ阿南市の場合、不動産屋さんもたくさんありますし、物件の数や種類も多いので、定住促進課に相談に来られた方も「希望の家が見つかったよ」と、不動産屋さんを通して見つけられる方が多いです。

——移住に関することで、阿南ならではの取り組みはありますか?

高岡さん 『阿南市人材バンク』というのがあって、長期的に仕事を探す人におすすめしています。事前に登録しておくと、阿南で希望の求人が出たら知らせてもらえるようになっているので、今の仕事を続けながらこちらでも仕事探しができます。「いつか阿南にUターンしたい」という人も登録しておくといいと思います。

——年齢制限はないんですか?

高岡さん 誰でも大丈夫です。

——それはいいですね。

高岡さん 仕事があるという点は移住の強みと思いますが、移住コーディネーターの仕事って難しいなと感じています。その人の人生がかかっているので安易に「来て来て」って言うだけではダメだし、だけど時には思い切って背中を押すことも必要かな、とも思ったり・・・。

——移住の傾向として少し前までは、理想の暮らしを叶えられる場所を探す人が多い印象でしたが、最近では移住者獲得のためにどこの自治体も支援条件を充実させているので、「もっといいところがあるかも・・・」という比較になってしまい、いつまでも決められない人が多い傾向にあるように思います。

高岡さん 阿南はコーディネーターに頼らなくても、ご自身で仕事も家も見つけられるので、まずは「阿南て、いいな」と思ってもらえるようにするのが、私の仕事かな、と。入り口で印象が決まるところもあるので。

——コーディネーターはファーストコンタクトの相手ですからね。その人の印象=街の印象というところはあるでしょうね。

高岡さん 移住希望の人に対してもですが、できるだけフットワーク軽く、コーディネーターにしかできないことをやっていこうと思っているので、移住して農業がやりたいという方の整地を手伝ったりとか、空き家の荷物の片付けや掃除なども手伝うこともあります。そうやって動いていると、地域の人ともつながりができるし、私のことを覚えてもらえたりするので。

——人と人とのつながりがコーディネーターの財産になりますね。

高岡さん どっぷり地域に入りたくないという人もいれば、ご近所さんから野菜をもったり、自分自身も自給自足をするような田舎暮らしをしたい人もいる。移住希望者の望む田舎暮らしの度合いによって、棲み分けできる地域が阿南市。興味を持った人はお気軽に問い合わせてみてください。

 

牟岐町だからできる!子供達へのキャリア教育

2014年、牟岐町で行われた高校生向けサマースクールHLAB TOKUSHIMA(事業名:徳島サマースクール by H–LAB)。これに参加した学生たちが「牟岐町へ恩返しをしたい」と自主的に教育やまちづくりを支援する団体『ひとつむぎ』を結成し、2015年に特定非営利法人となり、メンバー変更を重ねながら大学生が事業の企画・運営を行っています。『ひとつむぎ』結成当初から顧問として併走してきた大西浩正さん。2017年12月に『特定非営利活動法人 牟岐キャリアサポート』を立ち上げ、さらなるサポートと牟岐町だからできる子供達へのキャリア教育を中心とした活動に力を注いでいます。

 

 お世話になった町への「恩返し」が学生達の原動力

―――大西さんが行っているキャリア教育とは、どういうものでしょう?

特定非営利活動法人 牟岐キャリアサポート 理事長 大西浩正さん

大西さん 小・中学生の社会人基礎力を育成することを目的に行うもので、子供達が自分の言葉で自分の考えを伝えることができるよう、ワークショップやプレゼン練習、イベントの企画運営などを通じて、人間的に成長するための取り組みを行っています。

―――社会人基礎力というと?

大西さん 文科省では「基礎的・汎用的能力」と規定しているものですが、自分で課題を発見し、その解決に自主的に取り組み、周囲と協力しながら課題を解決していく力です。社会人基礎力を養い、多様で主体的な進路選択ができるよう、NPO法人『ひとつむぎ』とタイアップしながら、プログラムを運営しています。

―――そういった活動をされることになった経緯をお聞かせください。

大西さん 私は平成22年~25年まで徳島県教育委員会に勤務しており、その時に、東日本大震災の被災地支援や、グローバル人材の育成、キャリア教育等に関わっておりました。その時に、高校生を対象としたサマースクールである『HLAB(エイチラボ)』を徳島に誘致する機会に恵まれ、それが牟岐町で開催されることになりました。2014年に開催された第1回『HLAB TOKUSHIMA』の運営に関わっていた一部の学生が、「お世話になった牟岐町で恩返しをしたい」と『ひとつむぎ』という団体を立ち上げました。この『ひとつむぎ』は、その後も大学生の頑張りによって続いているのですが、私は県職員だったので、環境指導課長や小松島市の政策監の仕事をしながら、勤務時間外にボランティアで彼らをサポートしてきました。しかし大学生の活動は継続性を担保しにくい。予算組みや行政手続きなどは、極めて弱い。そこで、『ひとつむぎ』も含め、町のイベント等で関わる大学生を支援し、その子達が社会人になった後も地域人材としてストックされる仕組みを作りたい考え、平成29年3月に仕事を辞めて『特定非営利活動法人 牟岐キャリアサポート』を立ち上げました。

―――牟岐町で法人を立ち上げられたのは、大西さんが牟岐のご出身だからでしょうか?

大西さん いえいえ、縁もゆかりもないです(笑)。『HLAB TOKUSHIMA』を受け入れた自治体がたまたま牟岐町だったので。その時、牟岐の人達が極めて良心的にサポートしてくれたことがきっかけです。『HLAB』に参加した学生達の「お世話になった牟岐町に何らかの形で恩返ししたい」という気持ち応えたいという思いで「ひとつむぎ」に関わりました。「牟岐キャリアサポート」を立ち上げたのは、そこからの成り行きです。

―――「恩返しがしたい」という気持ちをきっかけに学生達が団体を法人化し、活動を継続しているのはスゴいですね。

大西さん そうですね。学生達も初めはまちづくりや教育に関する事業のお手伝いや補助的なことをやっていたのですが、特に教育の部分で、すごく頑張って目に見える効果を出したんですよね。牟岐町のように高校も大学も無い町では、子供達にとって“少しお兄さん”と感じる近い将来を投影できるロールモデルのような大人との接点は少ない。そのため、大学生と一緒に行うキャリア教育がすごく大きな影響を与え、子供が育つという状況になってきて。ですから、最初はガッツリと事業を行う団体を想定してなかったのですが、活動の過程で『ひとつむぎ』のメイン事業が「キャリア教育」になりました。

 

 成長が目に見える「シラタマ活動」

―――実際に今はどういった活動をされているんですか?

大西さん 話がややこしくなりますが『牟岐キャリアサポート』として行う事業と、『ひとつむぎ』として行っている事業があります。『牟岐キャリアサポート』は、『ひとつむぎ』など学生が関わる取組みを支援しているのですが、例えば、「牟岐の残したいもの写真展」など中学生や高校生に参加してもらう事業もやっています。その他にも大学生を対象とした課題解決型のワークショップなども考えています。

―――面白そうですね。課題解決型のワークショップに参加する大学生は、一般公募されるでしょうか?

大西さん 公募ではなく、まずはモデル的に今まで地域と関わりがあった大学生で立ち上げようと思っています。

―――四国の右下エリアは徳島県内にある大学のサテライトオフィスもありますが、四国大学、徳島大学など地元の大学と関わっていくこともありますか?

大西さん 『ひとつむぎ』も含め、特定の大学と組むことは考えていないです。どこかひとつの大学や決まった研究室の大学生というのではなく、『ひとつむぎ』には全国各地の大学、学部、専攻の大学生が目的やミッションを持って集まっています。「ここでやりたい」という学生達の熱意に引き寄せられるように、クチコミで知り合いの学生が集まってきているという感じです。

―――そういった学生たちがフィールドワークや地域で活動する中で、これまで一番刺激的だったことや、手応えを感じられたことは?

大西さん 一番大きいのは、『ひとつむぎ』の基幹事業である「シラタマ活動」ですね。

―――シラタマ活動?

大西さん 牟岐町の出羽島にある“シラタマモ”っていう天然記念物にちなんで名付けられた、小学生を対象にした「シラタマ学級」という社会教育プログラムが元々ありまして。初めは「シラタマモ学級」だったのですが、言いにくいので「シラタマ学級」に。その中学生拡大版が「シラタマ活動」です。


牟岐町では少子化のため保・小・中の地域施設を一体運営する「パッケージスクール」という全国的にも先進的な取り組みを行っていますが、生徒数が少ないため人間関係は固定されますよね。そうした中で子供達の力を伸ばしていくためには、どうしたらいいかと考えているときに、たまたま『ひとつむぎ』の大学生が「何でもやります」って出てきたものだから、「じゃあ彼らに新しい風を吹き込んでもらおう!」と「シラタマ活動」が始まりました。

―――具体的にはどんなことをしているんですか?

大西さん 中3生が中心となって夏の終わりに『むぎいろフェスティバル』というイベントを行っています。『むぎいろフェスティバル』では、中学3年生が、小学6年生から中学校2年生、さらに地域の人も巻き込んで、町の課題解決に取り組み、イベント等の形態で表現していきます。大学生はワークショップやプレゼンなどを通じて中学生の可能性を引き出していきますが、主役はあくまでも中3生です。また、イベント自体の成功よりも地域の方や下級生と一体になって準備する過程での成長を重視しています。初めは引っ込み思案で何も言えなかった子が変わったり、進路を主体的に考えるようになったり、「このイベントは自分達が支えている」という自覚が、目に見える成長につながっていきます。

ここでの体験が起点になって「高校生に進学した後も集まる場が欲しい」という要望があり、「ローカルハイスクール」という取組みにつながりました。高校生になると、徳島市内や、場合によっては県外から友達を連れてきて、サポートする大学生や社会人も全国各地から集まるという連鎖反応を起こしました。

―――活動の積み重ねが、少しずつ人の輪を広げているんですね。

大西さん そうですね。大学の単位が欲しくて地域活動に参加するという学生もいると思いますが、そういう人達は一過性で、単位取得など目的を達成すると関係が切れてしまう。牟岐キャリアサポートの副理事長は『ひとつむぎ』の出身で、現在、東京の大手IT企業で仕事しならが、ボランティアで関わり続けてくれています。

 

年間延べ500人以上の大学生が牟岐町へ!

―――大西さんも含め、縁もゆかりもない方達が牟岐町に自分たちの活動を見出し、繋がりを広げているのは面白いですね。

大西さん 面白いです。各地で様々な教育支援が行われていますが、小学校・中学校の義務教育の分野に「よそ者」が入って活動しているところは珍しい。牟岐町の場合、生徒数の減少に伴い、小中一体で教育に取り組む中で、教員が担う部分、地域の力を借りる部分、よそ者である大学生が関わる部分など、「タテの関係」だけでなく、「ナナメの関係」も取り入れている。そのことができる町って少ないと思います。大学生は受け入れてくれるフィールドがあるので、心おきなく現場に向き合い自分達で作り込んでいく。その成果を町が評価して応える状況ができたので、前に進んできたのかなと。


行政はどうしても「上からの動き」を考えるので、「偉い先生に入ってもらいましょう」とか「大学と連携協定を結んで学生にきてもらいましょう」というカタチになりがちです。しかし『ひとつむぎ』の場合は、大学生の「恩返しさせてください。何でもします」というゼロベースがスタート。「下からの動き」を行政が拾い上げた。その違いは大きいと思います。

―――牟岐は漁師町ですから、都市とは生活習慣も違うし、特に他県から来た学生さんは方言も分からず、苦労することもあったんじゃないですか?

大西さん まぁ、苦労はしているでしょうけどね。でもおそらく、「シラタマ活動」に代表されるように、子供達や若い世代が中心になって動ける部分があるので、苦労と感じていないのかな。


大学生が地域に入って、「この地域をどうするか」というような大きな課題に取り組んで町に提言する事業ってよくあるじゃないですか。商品開発や観光客誘致、それらの情報を発信とかね。でも役所は、意外とその成果を使ってないですよね。大学生の遊びに付き合ったくらいの感じで、正面から大学生の頑張りを捉えてくれないケースが多い。牟岐町の場合は、大学生が頑張りを真正面から受け止めてくれているので、大学生は頑張れば居場所がある。そのことが全国的にある程度、評価されるようにもなってきて、内閣府の「子ども若者白書」にも先進事例として掲載いただきました。大学生を地域に入れようという自治体は多いですが、「○○つがなりの○○大学にしよう」とか、「協定を結ぼう」というカタチを整えることから始めることが多い。しかし、行政や地域の方が大学生と並走する「良い現場」がないと、大学生のモチベーションはあがってきません。

過疎地で、交通の便が悪い地域に、「ひとつむぎ」だけで年間延べ500人以上の大学生が足を運び活動しています。HLABのサマースクールなどもありますので、これらを加えると非常に大きな数字です。

―――学生達が地域課題を自分事として捉えて、自走し始めている感じがよく分かりますね。

大西さん ここまで持ってくるのは相当大変でしたが、一番最初に関わった学生達が優秀で、特に頑張ったと思います。また面白いことに、その子達が就活の際に一流といわれる企業を受けると、どんどん採用が決まるんですよ。こうした経験を企業のインターンシップや留学よりも高く評価されるということが嬉しいですね。

―――既成のプログラムが用意されているわけではないですもんね。

大西さん 一応、大枠はあるのですが、事業を運営する大学生も参加する中学生も毎年違いますし、地域との関係も日々刻々と変わります。変化の中で最適化を探す作業を繰り返さなければなりません。この仕事の醍醐味はまさにその部分です。

―――毎年、予測不能というわけですね。

大西さん だからいつも苦しいですよ。運営する大学生の中にエースのような子がいると楽なんですけどね。プログラムの企画、運営やインナーワークを任せられる子がいる時は。まぁ、仮にそういう学生がいたとして、「賞味期限」って言い方は乱暴かもしれませんが、「賞味期限」は2~3年。留学やインターンシップ、就活などの時間を差し引いた実質賞味期限2年の制約の中で、どのように成果を出していくか。また、大学生が大切な時間を提供してくれていることに対して、「学び」というカタチでお返ししなければなりません。

1~2年では成果は見えなくても、5~10年経った時に、関係人口が外側に広がり、牟岐町や徳島県に人材がストックされ、社会を変えるというように、視座高く持つように心がけています。

―――なるほど。人と人との関係をひとつずつ、結んでいくような地道な活動というわけですね。

大西さん なかなか活動内容が伝わりにくいですが、続けていかないことには先がないですからね。田舎の子って、人間関係が固定されていますから、会話に主語がないですよね。主語述語がはっきりしなくても「あれ」「それ」で通じてしまう。でもその子達は15歳の春には町外に出て行くのが宿命。18歳になったら就職あるいは進学する。場合によっては県外へ出て行かなければならない。そのためには小学校の高学年、中学校段階から物事を頭の中で整理し、論理的に話ができることや、他者と協働できる習慣をつけていかないと。それが身についていないと、生きづらくなるんですよね。


子供達にとって、田舎に生まれたことがマイナスにならないよう、逆にプラスにするにはどうすればいいのか・・・。「ローカルハイスクール」という取組みは、大学はおろか高校もない地域に住んでいても、全国各地から大学生や社会人が集まってくるので、大学のことや社会の動きを学べます。高校生が大学生や社会人ときちんと繋がって、「自由に動ける力」をつけることができる。「自由に動ける力」をつけるということは、糸が切れた凧のように外の世界に流されていくのではなく、主体的に判断し行動する力をつけることです。

―――自分の力で動ける人材は今、本当に必要とされていますね。

大西さん そうですね。国では「学習指導要領」等を見直していますし、その動向も気にしながら・・・ですね。子供達が自分で決める力をつけるため、どういったキャリア教育が必要か、これからも実践しながら、探求していこうと考えています。

―――ありがとうございました。

 

◎関連情報サイト

NPO法人ひとつむぎ https://hitotsumugi.org/