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日本のお山に帰りたい~岩本さんが加茂谷で協力隊になるまでの話⑧~

この話は、阿南市加茂谷の地域おこし協力隊・岩本昌子さんが、なぜ、徳島に来たのかを本人が綴ったエッセイです。

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第八回 「おまけ」が、人生を変えた

 

高野山以降の部分は完全に「おまけ」だったが、この「おまけ」こそがその後の私の人生を大きく変えるきっかけだった。

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四国遍路をしている間、道がわからなくて困ったことはまずなかった。
歩き始めの頃こそ、電柱や手すりに貼ってある矢印のサインや道標を見つけるのに手間取ったが、慣れてしまえばすぐに見つけられるようになった。

山の中にも、正しい道にはいたるところに札が下げてあった。

遍路を始める前に登山やハイキングの経験も殆どなかったため、日本の山道はこういう風に標識がちゃんとあって道もわかりやすいものなのだろうと思っていた。

その認識が間違いであったのを思い知らされたのが、京都や奈良の山道を歩いた時だった。

 

標識が、ない。

 

山道を歩いていてあの見慣れた札が木の枝から下がっていないことは、とても不安な気持ちにさせられた。
あげくに、山越えで長谷寺に向かっていた時はついに初めて道に迷ってしまった。(この時は、幸い携帯の電波がある寺に近い場所だったので、地図アプリで位置を確認して適当な斜面を無理やり下りたのだった)

この時初めて、わかったのだった。
四国を歩いている間当たり前だと思っていたことは、当たり前ではなかったのだ、と。

四国で一度も迷わなかったのは、遍路道沿いに標識がついていて、道も歩きやすく掃除がしてあったりするのは、自然とそうなる訳でもなく「当たり前」ではなかったのだ。

65日間、なんら危険な事にも会わず安全にお遍路を回ることができたのは、私個人の力でも何でもなく、この道を整備してくれている地元の人々やお寺さんのおかげだった。

 

山里の集落を通り抜けている時、分かれ道でふと立ち止まり標識を確認していた私の背後50メートル向こうから、「こっち〜!!」と叫びながら手で正しい方向を指し示してくれたおばさんがいた。
先程すれ違ってこんにちはの挨拶を交わした彼女は、通り過ぎた後も実は私の行く方向を見ていてくれていたのだ。

 

四国じゅうの遍路道の陰には、誰にも知られなくとも日々道を整備したり、季節ごとに草を刈ったり掃除をしたり、休憩所を整えたりしてくれているこれらの数多くの地元の人々がいる…そのことにようやく気づいた時、私の中に湧き上がってきた思いは、彼らの静かな献身に何かお礼をしなくてはいけない、「ご恩返しがしたい」だった。